620 アスペルガー

2011年12月10日 (土)

久しぶりに会う友達に会って思うこと

週末、ちょっと帰省してました。会社は有給とって、一泊二日で。両親とも実家(熊本です。あ、くまモンがゆるキャラグランプリだそうで。おめでとうございます。)でまだ存命しているので、年に一回は顔を見に(或いは見せに)帰省するってのが、子供としての最低限の義務かな、って思うので(我ながらハードル低っ!)。

んで、夜は、小学校のときからの友達と飲んで、アホな話をして、帰って来る。これが年末恒例の行事となっております。今回は私を入れて三人で。獣医と外科医と弁理士(予定)。自分の知らん業界の話は面白いねえ。知ってた?太ってる人を手術すると脂肪が邪魔で邪魔で、思わず看護婦が罵るのを聞きつつ執刀する(「このデ*め!」)ことになるんだって。だから今度、保険の点数に脂肪加算が導入されるとか(もちろんウソだが)。

んで、二人に、自分の内面て自分にしか分かんないでしょ?自分の内面を覗いて見ると、10代のころとちっとも変わってないんで、驚くんだよね(普段からね)。って話をしたらば、後の二人からは、「そりゃそうだオレもだ」「当然だ」みたいな反応が返って来てほっとすると言うか嬉しいと言うかそんな気持ちがしたんだが。

実は「自分の内面云々」の話をして、そういう反応が返ってことは滅多にないんだよね。普通は「いやいやそんなことは」とか「またまたあ」みたいな話になるんだよ。本気にしてもらえない。で、ええーっ、成長してないの、オレだけ?って不安になってたのですが、今回、同意してもらって超安心した。

さて、ここで考えたわけですよ。たまたまこの三人は40過ぎても10代のころから内面がちっとも変わってないのか。それとも40過ぎても10代の頃と内面がちっとも変わんないような三人であるがゆえにこの三人は10代の頃に知り合っているのか。偶然か必然か。

だいたい、内面が変わった、変わるものである、変わるべきである、ってヤツの話を聞くと、それって社会的な役割とセルフイメージが一体化しているだけじゃん。ってのが多いんだよな。私は部長である、私は医者である、私は父親である、みたいなね。「役割」と「私」は別だよ、って思うけど、もう一体化しちゃってるから会話も咬み合わない。

逆に言うと一体化してない(出来ない)オレらみたいな人種は、ちょっとした違和感を常に抱きつつ、社会で「役割」を演じてるんだよな。うん。そういう意味ではオレ、昔よりウマく演じる自信は、あるな。

必然だよなあ。どう見ても。こういう友達は大事にしなきゃね。

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2010年4月23日 (金)

【書評】消えた少年たち 著者:オースン・スコット・カード

消えた少年たち読了◎。フレッチャー家は、アメリカ南部のノースカロライナ州ストゥベンに越してきた。プログラマーのステップ、妻のデァンヌ。それから子供たち、スティーヴィー、ロビー、ベッツィー。やっと見つけたソフト会社の年収3万ドルのマニュアル書きの仕事。しかし上司はどうやら最低野郎だ。辞表を叩きつけてやめたいところだが、ステップは家族のために我慢する。ディアンヌは南部のこの土地に馴染めないが、モルモン教の境区(ワード)の仕事をこなすことで徐々に生活のペースを掴みつつある。そしてスティーヴィー。学校で何かあったのか?家では弟たちと遊ぶことをしなくなり、友達と一緒に遊んでいるのだと言うが、その友達は誰の目にも見えない。空想の友達?そんな年でもないのに。ステップとディアンヌは心配で堪らない・・・。

正直でまじめなオタクが、社会との折り合いをなんとかつけつつ、自分のファミリーを懸命に守っていこうとするその姿勢に、自分の姿を重ねてしまいまして な。すげえ入れ込んで読み耽ってしまった(笑)。んでもって、その夫婦間のやり取りだとか、子供たちとのやりとりだとかがなんとも言えずリアルでなあ。頭 の中で起きている、幾層にも重なった心の動き、例えば、正直であろうと努力する感じとか、正直であろうと努力する姿勢を自分で批判する感じとか、が、とて も身近に感じられてね、もう、主人公のオタク中年であるステップと一体化して居りました。そういう意味ではとても個人的な読書体験だったんだな、これ(笑)。

ま、それ以外の意味でも面白かった。いろんな意味でね。思わずウチのヨメさん(ミステリマニア)にも奨めてしまった。

まずはミステリとして。アメリカ南部の町ストゥベンの連続少年失踪事件の顛末。純正のミステリのマニアの方は、怒るかな?どうかな?ワシは、全然許しちゃうけどね。

んでもって、なつかしコンピュータの歴史。アタリ、コモドール、PET、などなど、なつかしのマシンが登場します。当時のPC業界の雰囲気がうまく書けていると思います。

それからモルモン教の現実を内側から描いた作品として。オースン・スコット・カードがモルモン教徒だってのは、わりと有名な話だよね?ワシは確かエンダーのゲームの解説で知ったんだっけか。作品の思想背景として宗教的なものを感じることはあったけど、この作品ではモルモン教の実際の活動の模様等々が描かれていてなにやら面白い。タテマエでなく、教団内部の人間関係とか信仰に対する立場の違いによるいがみあいとかが、ごくあたりまえのものとして出てきます。そこんトコが新鮮でな。

夫婦のあり方に関する小説として。ステップとディアンヌ、二人の夫婦の会話がとてもリアルで面白い。お互いを深く愛しているけれど、日々の暮らしの中で生じるちょっとした行き違い、子供の教育に対する考え方の差、等々が摩擦を生む、その感じ。そしてそれを認識した上で正面から乗り越えようとする姿勢。なんていうか、人間味あふれる小説なんですわ。ストーリーを進めるだけのキャラじゃなくって、どの会話をとっても、キャラが生きているっていうか。

ええ小説です。いろんな人にお奨めしたい本ですが、そうですね、特に、まじめに生きてるオタクなあなた、それからオタクな夫と結婚しているあなた、是非ご一読を。

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2010年2月21日 (日)

ブログの効用、或いはおたくの幸せについて

ここんとこちょっと回顧なモードに入ってて、自分の(おたく)人生を振り返っている。ってわけで、今日は”ブログの効用、或いはおたくの幸せについて”です。

ブログには感謝している。ブログを始めたおかげで本を読むことが出来るようになった。これにはちょっと解説が要る。

ブログで書評を始めた頃、本を読む時間が足りなくて困った。社会人になってからずーっと、通勤電車の中が読書タイムで、これだと正味1時間/日程度しか時間がとれない。んで、どうしたかっていうと、出張を組みまくったわけです。新幹線の中とかで読書にいそしむ。しばらくはこれで乗り切ってたんですが、出張のネタも無尽蔵にあるわけでなし、やがて行き詰る。困った。どうする?

で、あるとき、気づいたんですわ。家で読めばいいではないかと。そう。なぜか、読書は移動中に限るってルールが出来ててそれに縛られていたんです。ワタシの無意識の中にね。アホみたいな話ですが。

このルールは、誰が決めたわけでもなく、自分で決めたものですね。思い返すと、社会人やってく中の、どっかの時点で、読書を無駄なものって認識した気がするんだな。ワタシは読書が大好きですが、それは昔からそうですが、その一方で、それを無駄なものとして認識した。んで、妥協案として、読書は移動中に限るという奇妙なルールが出来た。移動中なら他にやることないし、効率がいいから。そういうことではないかと思います。

自分の好きなものを、自分で無駄なものと決めて、自分で禁止する?ふつう、ありえないよね?

我ながらアホな話だなあ。んで、悲しい話だよな。過剰に適応するってこういうことかねえ。真剣に気の毒に思うんだ、自分のことをね。休みの日、おウチのソファで寝っころがって本を読む。とても幸せです。やっと手に入れた幸せ。失われた*十年を取り返す。

でも、思うんだけど、実はそういう人って、結構いるのではないかしらん?自分が何者だか知らない。何者って言っても別にむつかしい話ではなくて、何が好きで何が嫌いか。何を気持ちよく感じ何を不快に感じるか。知らない。或いは抑圧している。そんな人たち。ブログ、やってみたらいいのにね。或いはツイッターとか。

結局テキストベースのコミュニケーションツールって、発信するのに”考える”ことを要求するから、それが自分と向き合ういいきっかけになるのだと思う。

逆に言うと普段の生活で如何に”考える”機会がないか、って話でもある。大抵の仕事は思考停止状態でルーチンでやれてしまうんだよ。

ブログやったおかげで、自分の好きなことを思い出し、考える習慣を思い出し、悪しき社会人の呪いが解けた。

そんだけじゃない。ブログをきっかけにして、iPhone買って、ツイッター始めて、色々と個人的なプロジェクトを立てて。読みたい本はどんどん溜まっていく。時間が足りませんなあ。コレは嬉しい悲鳴。

ってわけでブログにはつくづく感謝しているのです。ちゅ。

 

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2009年10月18日 (日)

【書評】思考する言語(下) 著者:スティーブン・ピンカー

思考する言語(下)読了◎。上巻中巻、下巻、の下巻。第7章はタブー語について。第8章がポライトネスについて。第9章は上中下巻全編のまとめ、総括になっています。

第7章 タブー語はなぜ存在するのか-人間感情の考察から

第8章 「ほのめかし」による駆け引き-言葉と人間感情

第9章 「洞窟」から抜け出せ-言葉の無限の可能性

個人的には第7章にはそれほど興味が持てなかった。面白くはあるのだが、実生活での関わりが希薄でリアルじゃないってゆーか。いや別にカマトトぶってるわけではありませんがね。

それに対して第8章は個人的に超スマッシュヒット。面白い面白い。目からウロコがぽろぽろ落ちる。うん。

繰り返しになりますが、ワタシは自分をアスペルガー的キャラクターであると自覚しています。アスペル君。そんなワタシの目には、サラリーマン社会は無駄で非効率でくだらないものにしか見えなかったわけですよ。その回りくどさ、分かりにくさ。曖昧で微妙なコミュニケーションのありかたがね。

第8章では人はなぜ間接表現を使うかという問いに、徹底的に答えていく。これ以上ない、ってくらいに。これを読めば、この私にも、分かる、ってくらいに。

考えてみたら、誰も、そういう(ほのめかしとか間接話法とか)コミュニケーションの方法の、効用を正面切って教えてくれたことはなかったぞ。それは多分、普通の人には言語化しづらい領域で、且つ、なんとなく直観的に分かる、って類のことなんだからだろな。ワタシにしてみれば、なんとなくそういうもんだ、と思うから調子を合わせているつもりなんだけど、本質的には分かっていなくて、根っこでそういうのを莫迦にしているもんだから、身につかない。或いは、「調子をあわせている」「莫迦にしている」というメッセージに変質してしまう。つまりは真剣さが足りない、と。

んーでも分かった。この本読んで分かった。なるほど。ポライトネスは大事です。フェイス(体面)を保つのは大事です。うんうん。ここまで掘り下げて説明してくれる人は普通、いないわな。英語学習というきっかけから読み始めて、思わぬところで思わぬ拾い物をしたのかもしれない。うんうん。世のアスペル君、第8章だけでもお奨めです。駆け引きやほのめかしが出来るようになる、かもしれない。

いいなあ。なんかわくわくするな。何が面白いって、例えば”相互知識としてのフェイス”って目でみると、非合理的な慣習としか見えなかった会社のやりとりが意味のあることに見えてくるんですよ。んで、そんならこうしよう(会議の席で指摘するんでなく、事前にさりげなく伝えよう、とか)って風にいろいろ思いつく。人間関係の作り方の幅が広がるというか。多分普通の人には「いまさら何を分かりきったことを」ってことでもね、オレにとってはその理論的背景が信頼の置けるものである、自分が納得している、ということが大事なんだよなあ。

えーっと。話がズレてますな。この記事の中に、「思考する言語(下)」の書評、と、アスペル君としての個人的な反応が混在してしまってる。ちょっと軌道修正。第9章が上中下巻全体のまとめになってますから、ここで仕切りなおして、全体を通しての書評で締めたいと思います。

第9章 「洞窟」から抜け出せ-言語の無限の可能性

単語や構文の意味、使われ方を通して、人間性の本性にせまることが出来る。ピンカーがこの本でやって見せたのはこれ。では言語を通して見た人間性の本性とは・・・。

ってことで、別ページに箇条書きにしてみました。ページ半ばの★第9章 「洞窟」から抜け出せ-言語の無限の可能性、以降で網羅的に箇条書きしてます。っつってもこの本自体を読んでないと断片的過ぎて意味わかんないだろうなあ。うーん。ま、ちょっとでも面白そうだ、と思った人は、本書を読んでみて下さい。期待は裏切られないと思いますよ。全ての英語学習者に。全ての言語オタクに。全ての哲学オタクに。全てのアスペル君に。お奨めです。

結びのことばがかっこいい。”言語という視点は、私たちが住んでいる洞窟がどんなものか見せてくれるだけでなく、どうすればそこから抜け出せるかも明らかにしてくれる。メタ ファーと組み合わせる力を使うことによって、私たちは新しいアイデアや考えを抱き、私たちを取り巻く問題に対処する新しい方法を見出そうとする。それを行 う間も、私たちの心にはアゴニストとアンタゴニストや、点と線と厚板や、活動と達成や、神々とセックスと排泄物や、共感と敬意と公正さが浮かんでは消え、 消えては浮かんでいる。そしてそれこそが、私たちの思考を作り上げている素材(the stuff of thought)なのである。”byピンカー。

そういえば、上巻の書評で取り上げた「動詞を構成しているもとになっている生得的な認知の傾向」は、本書の中ではごく一部のテーマだった、ってことですな。この傾向を元にした動詞の性格分類、仕方ないのでこれはこれで別で追いかけることにしよう・・・。

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2009年10月11日 (日)

【書評】味方をふやす技術 著者:藤原和博

味方をふやす技術読了○。話題の杉並区立和田中学校前校長藤原和博による、「よのなか」の歩き方シリーズの三冊目。っつっても出版が2002年1月で、校長になったのは2003年だそうですから、この紹介の仕方はちょっと問題あるかな。うーん。考えてみたらワシこの人のことあんまり良く知らないんだよね。よのなか 読んだときも宮台真司がメインだと思ってたし。

味方をふやす技術。え?それは教えて欲しい。っていうストレートなニーズからアマゾンに注文して一気読み。だいだいさあ、アスペルガー的キャラの人間は、当人にその気がなくても敵を作っちゃうもんなんだよね。私の場合、言動についてはそれなりに理性で以って統制が取れていると思っていますが(ホントか?)、挨拶とか視線の合わせ方とかはね、咄嗟にコントロールできない。ごく些細な事なんですが、サラリーマン社会の基準から言うと、「失礼なヤツ」になっちゃったりするわけですよ、これが。あと誰に根回しすべきか、とかも苦手科目だなあ。ま、これは時間を掛ければ理論的に割り出せますけどね。咄嗟で生理的な反応を伴うものが駄目だ。くだらないが、軽く敵を作ってしまう。だから、味方をふやす技術、おーそれそれ探してました!って感じで読んだんですが。

結論から言うと、もの足りない、誇大広告じゃねーか?って感じなんですけど。もっとちゃんと技術として説明してあるものを期待していたので。冷静に考えるとそんなものがあるわけは無いのですが、そういうものを期待してしまう傾向がワタシにはありましてね。はっは。

さて、そんなものはない、ってトコからもう一度見直す。そうすると、ワタシにヒットしたのは、この3点。シンプルすぎて物足りないくらいだけれど、こういうのはすぐに取り出せるようなワンフレーズでないと実用にならないから、これでいいんだ。

・味方をふやすためには、嫌われる覚悟も必要だ。
・ひとりの人間は何人の人間に責任を持てるか。十二人一単位説、家族四人、両親四人を除くとあと四人。
・”愛”というのは自然に起こるものではなくて、”愛すること”を決めること。結婚はその契約の儀式。

本自体の作りとしてはちょっと雑な印象を受けました。無理矢理パッケージした、みたいな。具体的にいうと、
第1章 心を通わせたいなら「ネガティブ・コミュニケーション」で
第3章 愛情について-「愛」を「愛」という言葉以外で語ってみる
は面白かったけど、第2章と第4章はつまらない。ただの水増しコラムに見えますな。

学者或いは文章書きとしては一流ではないが、中にとても体験的で響くものがあるので、信頼しても大丈夫。ってことでよのなかシリーズの1と2も読んでみようと思います。こういうことを教えてくれる人は貴重だ。ワタシみたいな人間にとっては特に。

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2009年10月 3日 (土)

【書評】俺だって子供だ! 著者:宮藤官九郎

俺だって子供だ!読了○。脚本家で俳優で演出家で映画監督でバンドもやる、クドカンこと宮藤官九郎が週刊文春に連載していた育児エッセイ。クドカン三十四歳結婚十年目にして出来た子供「かんぱ」。ヨメさんの妊娠発覚の動揺から話は始まり、出産を経て、かんぱが無事三歳になるまでを毎週毎週レポート。笑いあり愚痴ありノロケありほのぼのありしみじみあり。

クドカン、三谷幸喜、の御両名は我が家の二枚看板。お気に入り脚本家なんです。木更津キャッツアイもピンポンもタイガー&ドラゴンも古畑任三郎も王様のレストランもDVD持ってます。オレじゃなくてウチの子供たちが。二人ともちょーっとオタク&アスペルガー入ってるんで繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し(しつこい)見てほぼ完璧に覚えてしまってます。一時期は突然二人で木更津キャッツアイの掛け合いが始まったりしてました。「だぉもー、あいがたぅ、ござひましたはぁ!」「だぉもー、あいがたぅ、ござひましたはぁ!」(西城秀樹のものまねをする山口先輩をお手本に西城秀樹のものまねを練習する公助のまね)とか、「きさらづぅー、キャッツ!(にゃあ!)キャッツ!(にゃあ!)キャッツ!(にゃあ!)」とかね。中学受験の頃の逃避&ストレス解消になっていたような気がするな。

いやこれは直接この本とは関係ありませんが。

ま、それはそれとして、ファンとしては取り敢えず一通り関係するものにはなんにでも目を通すというスタンスが我が家の家風であります。とはいうものの正直言って、文春で毎週読む分にはちょっとした箸休めとしてイイ感じなんでしょうけど、一冊丸々続けて読むのはちょっとどうか、って感じがしなくもなかったな。特に前半はオレなんでこれ読んでるんだろう、みたいな。いや面白いんですけどね。

なんでかってーと、前半はまだかんぱが小さいから掛け合いが出来ない。クドカンのひとりボケツッコミ。これに対して、かんぱが言葉を覚えた後半は、クドカンとかんぱの掛け合いになってるわけです。これがなかなかイイんだ。うん。お奨めかも。

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2009年2月 5日 (木)

子供とインターネット教育

ジュニアパークって何か、というと、ベネッセがやっている小・中学生向けののコンテンツですな。ざっとみたところ、ソーシャルスキル教育と子供向け教材、保護者向けのネット安全対策情報がポイントでしょうか。原則として無料のようです。

この辺は微妙に難しいところですね。保護者が子供に見せたいコンテンツは、それゆえに、子供は進んでは見たがらない、じゃないですか。特に中学生にもなると子ども扱いされるのをいやがるからなあ。

ウチの息子二人(中二と高二)はネットとどうつきあっているのか。観察すると、動画(ニコニコ動画とYouTube)で暇つぶし、検索(グーグル)で調べ物、が二大用途のようです。ま、暇つぶしと調べ物という意味では私だって似たようなものです。

つまりネットはもともと何でもありが基本になってますから、子供用に作った狭いパークの中に囲い込むのはちょっと無理がある。そのパークを如何に魅力的に作ったとしても、その外にある広大な空間を知っちゃったら、出て行きたくなるのが人情でしょう。

逆にいうと、外の広大な空間を認識できるまでの間は、保護者が管理して、安全なコンテンツの中で遊ばせておく、ということは出来るということか。それは何歳位までなんでしょうかねえ。私の感じでは小学校高学年になると、もうつらいんじゃないかな。友達からいろんな情報が入ってきますからね。

と、ここまでは子供向けコンテンツに関してネガティブに書いてきましたが、それはそこに囲い込むとしたら、の話。子供としてのニーズ自体はあるんじゃないかな。例えばキッズグーグルみたいなものはどうでしょう。宿題で環境問題を調べてくることになった。グーグルで検索すると難しそうなサイトしかヒットしないが、キッズグーグルだと、ちゃんとひらがなでやさしく解説したサイトが上位にヒットするとか・・・。

今、ためしにグーグルで「環境問題」「こどもむけ」で検索したらちゃんと子供向けの解説が上位にヒットしたな。やっぱりキッズグーグル、いらないすか。

あとは特殊な分野でのキラーコンテンツを持てるかどうか、ですね。それは子供用も大人用もない。その意味で、ウチの場合、ソーシャルスキル教育については興味があります。前にも書いたけど私と下の息子(中二)はちょーっとアスペルガー入ってるんで、普通だったら生活の中で身に付くはずの対人関係のスキルが身についていない面がある。なんらかの形でこれを補うことを考えなきゃ、と思ってたんでね。

とゆーわけで、下の息子にやらせたいと思うんだが。あ、その前に自分でやんなきゃな。いやホントにaspergerでottackyだと会社なんて人外魔境で不思議大発見だぜ。

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2009年1月15日 (木)

【書評】アスペルガー的人生 著者:リアン・ホリデー・ウィリー

アスペルガー的人生読了○。アスペルガー、一種の流行?ってくらい、人口に膾炙してきましたね。って、そんなことないか。私のまわりだけか?一種のマイブームです。

アスペルガーとは・・・興味・関心やコミュニケーションについて特異であるものの、知的障害がみられない発達障害のことである・・・・ウィキより引用。この本では自閉症の一種として紹介していますが、ウィキで引くと自閉症とは区別されることが多い、とありますな。どっちが現在主流なのかは私にはわかりません。

なんでマイブームかというと、私自身がアスペルガー的な要素を持っている、と感じるから、ですね。んで、なんでそう思うようになったかというと、下の息子と付き合っていると、んん?こ、これはちょっと、普通ではない(割とカルイ意味でですが)と感じる体験が多かったから、なんです。

んで、発達心理とかいろいろ勉強していくうちにアスペルガーという概念に辿り着き、ああなるほど、だからだね。と納得した次第。

この本の著者も自分の娘が抱えている問題を一緒に解決していくうちにアスペルガーという概念に出会い、自分がまさにそうだった気づき、人生を振り返って、この本を著しています。同じような体験を持つ人は多いのではないだろーか。程度は、様々でしょうけど。

中学受験で塾にやらずに一緒に勉強して良かったな、と思う理由のもうひとつがコレですね。一緒にやらなければ、きっと気づかなかったと思いますもん。

国語がからきしなのは、文字通り「文字通り」に読んでいるからなのだ、とか、算数は得意なはずなのに突発的に駄目なことがあるのは算数の問題ではなく問題の日本語を読めてないからだ、とか。特有の間違い方のパターンがあったんですよ。面白いくらい。

んで、パターンがわかるとそれを避ける方法を一緒に考えることが出来る。学校でトラブルに巻き込まれることが多い理由も、よくわかったし。なかなか面白い体験でした。

なんか、話がずれてるな。んん。・・・・・この本でも言ってますけど、普通じゃないことは、ただ普通じゃないってだけのことなんで、だからどう、ってことはない。個性としてのアスペルガーって、なかなかイカシてると思います。ってことで。

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