120 エッセイ

2011年12月30日 (金)

【書評】これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景 著者:ダグラス・アダムス、マーク・カーワディン

これが見納め読了◎。副題は「絶滅危惧の生きものたち、最後の光景」。イギリスのSF作家ダグラス・アダムスが、地球上の絶滅危惧の生きものたちに出会う旅に出た、その旅行記。彼らが棲むのは辺鄙な辺鄙なところ。(なぜかと言うに、人間の近くに棲んでいた連中は既に絶滅してしまったから。)飛行機を乗り継ぎ、若しくは無人島にわたり、或いはサバンナを歩いて、それともジャングルの中で野宿して。ひとめその姿を見るために、ただそのために。

相棒は動物学者のマーク・カーワディン。デコボココンビ二人の現地人との抱腹絶倒のやりとりあり、文明と進化についてのピリッとした考察あり、そして「彼ら」に対する深い愛情に満ちた描写あり。面白くほろ苦くそして魂を揺さぶられる一冊。是非是非一読をお薦めします。

イギリス人らしい、皮肉で内向的でユーモアに富んだ文章がとても良い。扱っているテーマは実はシリアスで重たい、んだけど、敢えてそれを感じさせない文章だよね。文章の波長が相性ピッタンコだなあ。

そうなのよ。ダグラス・アダムス、読んでなかった。SF者としてはこれはきっと大ポカ。ナンセンス・フェチとしても。とゆーわけで銀河ヒッチハイク・ガイドをアマゾンで注文(いつ読むんだいったい?)。ついでにAmazon.comでは原書をダウンロード(だからいつ読むんだよ?)。

えーと、せっせと四法対照に書き込みながら、息抜きに読むくらいは許されるのではないかと・・・。なんだかんだでもう2011年も終わり。短答まであと半年弱。早えなー。

なんだか纏まりがなくってすんません。朝から短答漬けで脳みそが働かん(ほんとにか?)。えーと、それではみなさま、良いお年をお迎え下さい〜。

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2011年12月18日 (日)

【書評】おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2 著者:村上春樹

おおきなかぶ、むずかしいアボカド読了○。雑誌「アンアン」に連載中のエッセイ、村上ラヂオを一年分まとめたもの。

いつものノリの、肩の凝らない軽いエッセイ。アンアンだしね。楽しく読ませていただきました。変わってないよねー。この人の正直で真面目なんだけどユーモラスな感じが好きだなー。こんな風に生きていきたいと思います。うん。

いつだったか、たしか「卵と壁」のスピーチの時かな、動画を見て、いきなり顔がおじさん化してたんでびっくりしたことがあったが、この本読むと中身は変わってないんだな、と安心する。昔からの読者の人はきっとこの感じ、わかるんでないかなー。

逆にあとがきで挿絵家が舞台裏の話をしたり、お礼を読者にでなく村上春樹にしている図ってのは、なんだか違和感があるんですけど。村上春樹が世の中に認められていくのは一ファンとして純粋に嬉しいんだけど、それがこういう「偉くなったのに書いてもらえて光栄です」的な扱いをされているのを見ると、それはちょっと違うだろ、って思う。本人もそんなん鬱陶しいだけなんではないかしらん?せっかく本人がおんなじようにやってんのに、回りがぎくしゃくしてちゃあ興が醒めるってぇもんだよ。

顔がおじさん化してても、中身は変わらない、こともある。前回の話題、変わらない内面の話にも繋がりますが。というわけで、アンケートを取ってみることにした。そういえばココログのツールにそういうのがあった気がするが、だめだ。見つけられないな。ってわけでいまwebを検索したら、アンケート作成ツールがあったので試してみることにする。

アンケートを行うにはここをクリック

質問はひとうだけ。自分の内面を覗いてみて変わったと思うかどうか、だけ。
これに何の意味があるのか。意味はない。でも回答がある程度溜まったら発表してみることにします。思いつきでなんでもやれるのがネットのいいとこだな。

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2011年10月15日 (土)

【書評】あたらしい哲学入門―なぜ人間は八本足か? 著者:土屋 賢二

あたらしい哲学入門―なぜ人間は八本足か? 読了◎。帯の煽り文句は「才色兼備な女子大生を熱狂させた伝説の哲学入門講義がここに復活!」。おなじみ土屋教授の、御茶ノ水女子大での講義「哲学」を元にした哲学の入門書。哲学の問題は、いくら考えても解決できない、わけではない。実は明快な解決がある。哲学の問題を実際に解いてみせることで、哲学について丁寧に解説してゆく。

土屋教授の、ユーモアエッセイでない本を読むのは初めてかもしれない。真面目な哲学入門書も書くのか、と軽く驚く。しかも書いてあるネタはいつものユーモアエッセイと全くおんなじで、再び驚く。しかし真面目な哲学入門書である本書の方が、ユーモアエッセイよりも数倍面白い。どういうわけだ。三たび驚く。

いやー面白い面白い。勉強の息抜きに軽い気持ちで読み始めて、やめらんなくなって一気読み。(って最近コレばっかやな。抜きまくりやんけ!)やっぱ「溜まってる」ってことですかねえ。うんでも思うんだけど、一日一冊を目標に一生懸命読書してブログに書いて、ってやってた頃より、純粋に読書を読書として楽しめてる感じがする。お勉強があるんで読みたいけど読めない読みたいけど読めないああー駄目駄目駄目駄目読んじゃった、ってのが読書の快感を高めてくれている気が。これを称して読書M、略してドMと呼・・・ばないな。単に逃避してるんじゃないかって?いやちゃんとお勉強もやってますって。ホントホント。ま、それはそれとして。

オレ昔からナンセンスギャグが好きでなあ。ルイス・キャロルとか、そういう系譜のギャグ、それと、座禅の公案(←いやそれ並べるのはどーよ?)。右手と左手鳴ったのはどっちか、なんてェ奴。もう小学校の頃から、そういう類のものが気になって気になって。そういうのに接すると、理由もなくなんだかワクワクするんだよ。今も。このワクワク感は、とてもとても根が深いなー。たぶん。オレのDNAの一行目(ってどんなDNAだよ!)に刻まれている気がする。昔々オレの母親が「おまえはナンセンスギャグにフェティッシュがあるみたいね」と言ったとか言わなかったとか(すみません。虐殺器官ネタです)。

真面目な話、試験に受かって好きなだけ本が読めるようになったら、取り敢えずウィトゲンシュタインのはしごをよじ登って逆立ち位はしてみたいものだと思う。いや結局は放り投げるんですけれども(すみません。これも一種のネタです)。

それと、この本とは直接関係がないけど、同じナンセンスが、一方ではナンセンスギャグになり、一方では様々な思考のモトとなり、一方では思考を止めるためのモトとなった、その扱われ方が面白いと思うんですよ。モンティ・パイソンとアリストテレスと白隠禅師。そーかそーか、一緒かあ。これで一冊書けないかな。

やりたいことリスト、読みたい本リストが増えてくのはなかなか楽しいね。(逃避の典型的な例です。自覚。はい。気をつけましょう。( ̄へ ̄|||) ウーム)

で、これのどこが書評やねんて?(すみません。マジで面白いんです。一読をお薦めします。)

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2011年1月16日 (日)

【書評】日本語ほど面白いものはない―邑智小学校六年一組特別授業 著者:柳瀬 尚紀

日本語ほど面白いものはない読了○。副題は「邑智小学校六年一組特別授業」。著者は語呂合わせと言葉遊びで有名な翻訳家。翻訳不可能と言われたフェネガンズ・ウェイクの翻訳で知られる。その他ルイス・キャロルやロアルド・ダール等の翻訳を多く手がけてきた。その著者が、ふとした縁から島根県の山あいの僻地、美郷町にある邑智(おおち)小学校で、特別授業をすることになった。生徒は六年生全員の十六人。2009年10月28日に行われた特別授業の模様を再現する・・・。

中身はこんな感じ。例によって・・・以下はワシの補足。
1 子どもの本屋さんに誘われて・・・著者の経歴、特別授業のきっかけについて
2 みんな日本語という世界の住人-第一回特別授業
3 六年一組十六名からの手紙
4 邑智小学校は開校七年目・・・過疎という現実と、教育環境の素晴らしさについて
5 最大の奇蹟は言語である-第二回特別授業
6 子どもたちの創作
7 空想授業:邑智中学校一年生に向けて

この本を読むまでは柳瀬尚紀さんという方を特に意識したことはなかったのだが、調べたらワシの場合、ルイス・キャロルで結構お世話になってましたな。「不思議の国の論理学」とか「もつれっ話」とか、「かつらをかぶった雀蜂」とか。そーか、あの人か!って感じ。なんつってもルイス・キャロル、地口と駄洒落はてんこ盛りなんで、翻訳は並大抵の苦労じゃないだろな、ってのは、昔、読みながら思った覚えがあるぞ。

言葉遊びの技量は授業でも如何なく発揮されていて、邑智小学校を謳いこんだ「いろは歌」(同じ音は一度しか使えない)を作ったり、「おおちしようがつこう」を文頭と文末に折句して10X10のマスを全て埋めたりと、言葉遊びの天才の面目躍如。さすがだ。

冒頭の著者の略歴が面白い。翻訳にのめり込んで大学を辞めちゃったり、「好きなことしかしない」「嫌なことはやらない」と宣言したり、相当に偏屈で頑固な変人だな、と。うーむ、羨ましいぜ。それをやっても喰えるってのは素晴らしい。オレもそーゆーのに憧れるけど、とてもそれを通せないもんねぇ。

そんな、小学生の教育とは無縁に生きてきた著者が、僻地で小学生を相手の特別授業、ってのもミスマッチで面白い。縁というか。めぐり合わせというか。結果的に過疎とか教育について、いろいろと考えさせられる本になっています。

んーでも、本音を言うとな、オレの趣味から言うと、ちょっとツメが甘いというか。いやもっとガチで日本語の面白さについて、やってくれる本かと期待してたものでなあ。ちょっと方向性が違ったか。わがまま言ってすんません。

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2010年11月20日 (土)

【書評】Q人生って? 著者:よしもとばなな


Q人生って?読了◯。読者との交流のために設けた自分のサイトの質問コーナーで、くり返し出てくるテーマについて、一般論でなく、正直に、気付いたことを綴る。特殊な環境で人生を送ってきた著者だが、だからこそ見えているものがあるかも、という、よしもととばななの人生相談。

かなり特殊な環境で育った、っていうのはそのとおりだよな、って思う。

珍しくウチのヨメさんが、「読む?」って言って廻してきた。我が家ではこれは「読め」って意味ですから、素直に読む。字も大きいしあっという間に読み終わり、さて、プチ読書会。ヨメさんは冒頭の「ほんとうの優しさってなんだと思いますか?」という相談が印象に残ったのだと言う。因みに要約すると、優しさはそのヒトの「育ち」による、親がしたように、自分の環境でそうであったように、若しくは、親がしてくれなかったこと、自分の環境になかったもの、それが優しさなのだ、だからそれがうまく伝わらないことはよくある、という内容。まあウチのヨメさんは強引でおせっかいなトコがあるんで、誤解されて痛い目に会ったんだろうなあ・・・。ご愁傷さまです。

私は、というと、「底」の話が面白かったな。”なんでも底の底の底に沈むと、そこには広い空間があり、呼吸も深くなり、ものごとが静かに見えてくるものです。”うんうん。そうなんだよねー。すぐにそのことは忘れてしまうけど。でもそこに軸をおくってのはいいかもしんない。うん。

よしもとばなな、キッチンはなかなか衝撃的なデビューで、その後もわりと贔屓にしている作家なんだが、追いかけて熱心に読むって感じではない。読めば「ああそうだよね、ホントだよね。」って思うんですけど。感動もするんですけど。でもそれだけでは済まないでしょ?って感じ、ソレをいま言われても困るんですぅ、って感じ、分かりませんか?これはワタシが男だから?

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2010年10月31日 (日)

【書評】実用 青春俳句講座 著者:小林恭二


実用 青春俳句講座読了◯。俳句は現代人にとって「謎」である。しかしものは考えようで、その謎を自分流に解くところに、真の俳句と接する醍醐味があるのかもしれない・・・。学生時代から俳句にどっぷりとはまり、現在も尚創作の傍ら句作に励む、小説家小林恭二による、俳句への誘い。

小林恭二と俳句、結構有名だよね?前から気にはなっていたんだが、読む機会がなかったんだよ。今回縁あって文庫で手に入ったんで、早速読んでみた。

自身の俳句との出会いと学生時代の句会の思い出を語り、当時の自作を「筋が悪い」と評しつつ、どこがどう筋が悪いのか、丁寧に解説を加える。その上で、俳句とは何か、を考察し、「句会」という共同体における「言葉」である、と。それ自体で完結したものでなく、ましてや作者の分身などではなく、読み手のものなのだと。だから、仲間を集め、句会を開くことが大事だよ、という、そういう話。

学生時代の句会の模様、合宿の様子が、独特のトボけたユーモアを持って語られ、いい味を出してますな。うんうん。この、気の合うもの同士で、ひがなダラダラと一緒に居て別れがたい感じ、学生時代特有のこの感じは良く分かる。それは別に俳句でなくっても?って思わなくもないけど、読んでて楽しいんで、よしとしましょう。逆に言えば、あのだらだら遊ぶ感じを、大人になっても出来るものなら、俳句をやることでそれが出来るものなら、それは、俳句をやる価値は確かにあるな。オレにとってね。と思ったことであります。

ひまをもてあまし、下らない(って悪い意味でなく)ことを考え、その考えについてお互いに批評しあう、そうそう、そういうことをやりたいんだよなあ。そのためのツールに俳句はなりうる。ここら辺はなんとなくそう睨んだとおりというか。無事にリタイアできたら、馬鹿話の出来る仲間を集めて、楽しく句会を催したいと。

んでも、それはまだ先の話。今はホラ、お勉強があるから、な。老後の楽しみにとっときたいと思います。

以上、「青春俳句講座」の感想。本書で言うとこれが9頁~77頁。このあと、いろいろと俳句がらみのエッセイというか紹介記事が収められてます。でもなあ。「青春俳句講座」ほどのインパクトはないな。辛うじて「新鋭俳人の句会を大実況中継する」(121頁~151頁)が臨場感があってわくわくするんで○。あ、それから「純情のひと」(213頁~227頁)が意外と面白くって○。これ、ある俳人の俳句を取り上げて批評を加えているのですが、さて「純情のひと」それは誰でしょう?ヒントは元首相。

答えは本書を読んでくださいな。思わず笑ってしまうこと請け合い。ではでは。

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2010年8月25日 (水)

【書評】わたしの渡世日記 著者:高峰秀子

わたしの渡世日記読了◎。昭和四年に五歳でデビューしてから、五十五歳で引退するまで、きっかり半世紀、実に三百本を越える作品に出演した、”大女優”高峰秀子の一代記。

いやー面白い。高峰秀子の流儀で紹介されていた高峰秀子という人物像が、あまりに強烈だったので、これは読まずばなるまい、と購入。期待は裏切られませんでしたよ。

一種突き放した視線。歯切れのいい文章。当時の映画界、のみならず、戦争を含む時代の雰囲気やら、当時の著名人の生身の姿やら、が活写され、単なる自伝を超えた、ありえない面白さ。すげえすげえ。

なんていうんでしょう。モノゴトを突き詰めたヒトだけが持つ、大胆さというか。思い切りの良さというか。自然体な感じというか。ひとことで言うと「悟っている」って感じ、ですかねえ。

んでまた当時の写真が載ってたりするんですけど、これがまたえらい美少女或いは美女、なんだよねぇ。昔のソフトフォーカスのブロマイド(が多い)ってトコを差っ引いても。そりゃ、これはたいていの人間を武装解除してしまうよな。はー。凄いヒトがいるもんだ。

戦争をとりまく時代の手触りが、こんだけ身近にありありと迫ってくる本、ってのも珍しいと思います。ありそうでないですよ、これ。あくまで高峰秀子さん自身の自伝、渡世、がテーマなんですけど、社会背景としての「戦争の時代」の描写にはかなりの分量が割かれており、なんともいえないリアリティがあります。同様に、背景としての「映画業界」もね。

映画、一本も観てないのも失礼かな、と思うんで、そのうちなんか観てみようと思います。やっぱ「二十四の瞳」かなあ・・・。あと、他の著作も読んでみたくなりますな。勉強の息抜きにぼちぼち読んでいこう。なんとなくいいわけ臭いねえ。スンマセン。

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2010年8月12日 (木)

【書評】外国語の水曜日―学習法としての言語学入門 著者:黒田龍之助

外国語の水曜日―学習法としての言語学入門読了○。帯のアオリ文句は、「いつもこころに文法を」。著者は理系の大学でロシア語を教えている。ロシア語はマイナーで不人気なことでは、堂々のベストスリーに入る言語である。ロシア語に限らず様々な国の言葉に関する資料が揃っている研究室には、硬軟様々な学生が出入りし、賑やかである。根っからの文系人間である著者と、個性豊かなバリバリの理系学生たちが繰り広げる、外国語と外国語学習を巡るあれこれ。

独特のテンポで外国語学習にまつわるエピソードが語られ、肩の力を抜いて楽しく読めます。なにしろ「外国語学習で最も大切なこと」、それはずばり、”やめないこと”、ってんだから。続けるというような積極的でカッコいいもんでなく、いつまでも未練たら しく、やめない。なるほど。いいなあ好きだなあこのノリ。すげえ気が合いそうだ。ワシ、本屋さんでたまたまここんトコ立ち読みして、思わず買っちゃったもの。

勉強の息抜きに読み出したら面白くって、あっという間に読んでしまった。勉強の息抜きに別の勉強の本を読んでれば世話はないが、もちろんこの本、根は真っ当な外国語学習に関する考察の本なんですけど、著者のキャラクターがソレを傑作なユーモアエッセイにしてしまう、ってゆーか。

それから、外国語学習そのものに対するある種メタな視線を持っている、っていうのもポイントです。フランス語命(いのち)!とかドイツ語バリバリ!みたいな偏狭なタコツボ語学でない。ある意味対象は何語でもいいのだと。役に立つかどうかも関係なく、ただ、やってみたいと思うかどうか、興味があるかどうかだけで選べばいいのだと。その感じが、なんつーか、波長が合う。そーか。なんでもいいのか。弁理士受かったらロシア語かなんか勉強しようかな。オレ、語学のシツコクやる感じ、結構好きなんだよなー、と改めて思ったよ。

ちょっと残念だったのは「第三章 学習法としての言語学入門」がちょーっと薄味でした。もっとこう、”学習法として”、”効く”内容を期待したんだが、うーむ。どっちかというと単なる言語学紹介に近い。ってわけで☆一つ減の○。ってことで。ナマ言ってすんません。

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2010年6月25日 (金)

【書評】高峰秀子の流儀 著者:斎藤 明美

高峰秀子の流儀読了◎。昭和四年に五歳でデビューしてから五十五歳で引退するまで、きっかり半世紀、実に三百本を越える作品に出演した、”大女優”高峰秀子。親族十数人を養うために、学校を諦め、ほぼ独学で知性を磨く。彼女はついに最後まで女優という職業を好きにはなれなかった。女優の持つ虚飾を嫌い、ただ「普通の生活」を望み、それを手にした。そんな彼女の強靭にしてしなやかな価値観、生き方、日常生活、とは・・・。

全13章、目次のみだしを見れば、その価値観の一端がわかる。
動じない
求めない
期待しない
振り返らない
迷わない
甘えない
変わらない
結婚
怠らない
27歳のパリ その足跡を訪ねて
媚びない
驕らない
こだわらない

ある角度からみるとね、全編これ高峰秀子という人物が如何に凄いか、素晴らしいか、繰り返し繰り返し語った本です。因みにワシ昔の日本映画は守備範囲じゃないんで、この高峰秀子さんと言う人については殆ど何にも知らない。んで、普通この手の本は鼻について、読めないもんなんですが。この本はちゃんと最後まで面白く読める。それは第一に取材対象である高峰秀子さんの一本芯の通った不思議な魅力、ってコトに尽きる。こういう人が実際に居るんだ、へええ・・・。って感じで感動して引き込まれるんだよな。んで、第二には取材する側と取材される側の信頼関係、ですね。日々リスペクトを新たにする感じというか。内省的に取材を重ねる感じというか。ただステレオタイプに礼賛しているわけではない感じ。あれだ、高峰秀子って人は、なんて言うんでしょ、ある種、悟っちゃってるんだよね。こういう生き方、憧れますわ。これ一種の聖者本ですな。そう。聖者に触れると、触れた人は内省的になるんだよな。この著者もその口なんだと思うよ。

ワシ自身もな、読みながらちょっと背すじが伸びる感じがして、また、自らの行状を振り返って反省したりしてましたわ。

この人、ホンモノですなあ。ご本人の書いたエッセイがまた面白いってことなんで、是非手に入れて読んでみようと思います。

で、勉強はな、青本(18版)特許法部分通読一回目終了。二度目に入る。このペース、どうかなー?え、こんな駄文書いてる暇があったら勉強しろって?すんません。息抜きなんですぅ・・・。

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2010年6月12日 (土)

【書評】ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘 著者:水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子

ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘読了○。書名のとおり、水木しげる、赤塚不二夫、手塚治虫の三人の娘たちが、それぞれの父親と作品を語りあった本。

このタイトル。書名の勝利だよなー。それに尽きる。って言うと実も蓋もないか。んで、言葉としては”ゲゲゲ”がもっともポピュラーだけど、この本の主役は実は”ららら”。手塚治虫の娘さんだよね?って思いました。

偉大な父親を持ってしまった娘の、父親に対する想い、或いは、それゆえの悩み、若しくは、そこから逃れるための自分探し、そして再発見。てな感じで読みました。そういう意味では水木しげるの娘だけちょっと異質だよね。なんつってもまだ生きてるからな。関係が全然違うんだと思うんだよね。

それぞれの娘が選んだ、父親の短篇が一作、収録されています。水木しげるが「猫」、赤塚不二夫が「レッツラゴン」(REMIX)、手塚治虫が「ペックスばんざい」。このセレクトはなかなかいい。ありきたりでなく、でも本質を外さない、そういうセレクト。さすが”娘”だね、って見直す感じですなあ。

ウチの息子たち(18歳と15歳)、天才バカボンのファンで、ウチにはバカボンとア太郎は文庫だけど全部ある。世代的にはこれはちょっと珍しいんではないかしらん?んで、レッツラゴンは、ない。昔、少年サンデーを床屋で読んでたときに連載されてたんだよな。そのぶっ飛び方に子供ながらに怖かった覚えがあるぞ。んで、今回「レッツラゴン」(REMIX)読んで、やっぱり怖いマンガだなー、って思ったことです。これは、手に入れたいかも。って思ったのは収穫。

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