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2011年2月26日 (土)

【書評】凍りのくじら 著者:辻村深月

凍りのくじら読了○。主人公の高校生、芦沢理帆子は心の中で周りの人間の個性を全てSF(スコシ・ナントカ)と表現している。この言葉遊びは、理帆子の尊敬する藤子・F・不二雄先生が、ドラえもんをSF(Sukoshi Fushigi 少し・不思議)と呼んだことにちなむもの。理帆子自身は自分をSF(Sukoshi Fuzai 少し・不在)だと思う。どこにいてもそこを自分の居場所だと思えない。

読書家の理帆子だが、過去に読んだ本の中でのベストワンは、ドラえもん。同じく藤子・F・不二雄先生を尊敬しドラえもんのファンだった、父親の影響だ。父親の芦沢光は一部で高い評価を受けるフォトグラファーだったが、若くして病に侵され、理帆子が小学生のときに失踪した。

そんな理帆子の前に、3年生の先輩別所あきらが現れ、写真のモデルになって欲しいと頼む。別所は芦沢光のファンで、病院で理帆子を偶然見かけ、イメージにぴったりだと思ったのだと言う。理帆子は断るが・・・。

うーむ。普通3行で紹介するのが基本ポリシーなんだけど、なんでか、うまく要約出来なかった。すんません。

このヒトの本を読むのは初めてです。キッカケは例によってウチのヨメさんから廻ってきて。で、ウチのヨメさんには、ヨメさんの友達の女子大生の娘から廻ってきて。最近の若いコはこーゆーの読むのよねえ、でもこれは面白かった、これ読むとドラえもん読みたくなるのよ、みたいなコメントに釣られて読んでみた次第。

うん、面白かったですよ。確かにドラえもん、懐かしく思い出して読み返したくなる感じ、あるある。そうですね、この本、見かけによらず、イロイロな読み方が出来るんですわ。オレにとっては、だけど。だから、要約がしづらいんだ、と納得。

ひとつめ。純粋にドラえもんへのオマージュとして。全部で10章からなる小説ですが、全ての章にはドラえもんに登場する道具の名前がついており、とても上手にストーリー進行を助ける役割を果たしています。そして、作中の随所で語られるドラえもんというマンガに対する愛。そうそう、昔、あれを楽しみに読んだよなー。

ふたつめ。広義のミステリとして。ワタシはミステリはあんまり好きではない。(ヨメさんは対照的にミステリしか読まないヤツですが。)読むならSF(サイエンス・フィクション)の方が好みなんですけどね。読んでる途中でアレ?と思う箇所が幾つかあったのだが、実は、アレ?と思わせるのも含めて、伏線。なかなか練れていて、それでいてイヤミでない。

みっつめ。最近の日本のライトノベルとして。ワシここ、殆ど読めてないんですわー。莫迦にしてるわけではないが、食指が動かん。でもこの本についてはヨメさんによると読みやすく、また水準も高い、ってことだったんで。確かに。ちゃんと小説世界がそこにあり、現実と向き合い悩み、そして人生を前に進めていくメッセージが込められています。

よっつめ。最近の若いコの社会習慣紹介本として。小説ではあるけれど、主人公や主人公の友達の、振舞い、考え方、等々、興味深く読んだ。

ってわけで、なかなか良い本です。一読をお奨めします。

ヘンな話ですが、ドラえもん、いつの間にか「のび太の教育上云々」なんて世間に出回っているピントのズレた批判に、自分が影響されていたんだな、と気付かされ驚く感じがありました。そーいえばiPhone版が出てたな、確か。ちょーっと読み返してみよか。

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2011年2月20日 (日)

【書評】特別な場所 パワースポット巡礼1993-2010 著者:本間日呂志

特別な場所読了○。サブタイトルは”パワースポット巡礼1993-2010”。特別な場所は、人間が立ち入る前から特別な場所だったに違いないと著者は言う。地球から放たれるエネルギーは人間がそこに建造物を置こうとも変わらない、とも。特別な場所=パワースポットを訪ね、地球の放つエネルギーを感じ、その特別な場所の美しさを伝える写真集。

選ばれている土地は、メキシコ(テオティワカン)、エジプト(ギザ、クリスタルマウンテン、ウエスタンデザート)、オーストラリア(エアーズロック、マウントオルガ、ノーザンテリトリー)、ハワイ島(キラウエア、コナコースト、マウナケア)、ニューカレドニア、屋久島(二千年杉)、アメリカ(モニュメントバレー、マリブ、アリゾナ、セドナ)、長野(戸隠神社奥社、分杭峠)、沖縄(斎場御嶽、久米島)、徳島(龍頭の滝)、山形(羽黒山、湯殿山、立石寺)、熊本(阿蘇)、宮崎(高千穂)、山梨(富士山)、島根(雲南市)、エチオピア、兵庫(淡路島)、京都(鞍馬寺、貴船神社)、奈良(唐招提寺、喜光寺)、鹿児島(霧島神宮奥宮)、イギリス(グラストンベリー、ストーンヘンジ)、茨城(筑波山)、北海道(摩周湖、大雪山)、東京(皇居、高尾山)、マルタ(ゴゾ島)、神奈川(大磯)、岐阜(養老神社)、スリランカ(ミンネリア国立公園)、和歌山(熊野那智大社)。

出不精なワタシですが、金と暇があったら、こういうトコを旅行して廻るってのは、ちょっとやってみたいことのひとつ。パワースポットってーと、ちょっとオカルトが入るので”怪しい”ものになりかねないが(そもそもパワースポットは存在するのか?パワースポットにはパワーがあるのか?)、そうではなくて、所謂観光地でなく、ちょっと辺鄙なトコにある聖地みたいなトコを旅するってのは、なんだか憧れるんですわ。

定年で暇になったらやってみるか?ヨメさんは絶対ついて来ないとは思うけど。

写真について言えば、被写界深度を思いっきり浅くして、風景をミニチュア写真風に見せているものが多いのが特徴でしょうか。これ、当然わざとなんだろうけど、最初見たときはかなり違和感があったよ。なぜミニチュア写真風にしなければならなかったのか、ちょっと訊いてみたい気がする。あ、パワースポットへの疑問、追加。パワースポットにパワーがあったとして、パワースポットの写真にはパワーはあるのか?どーでしょーねえ?

全体として論旨不明な書評になってしまったことをお詫びします。ごめん。

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2011年2月13日 (日)

【書評】ヘンテコピープルUSA 著者:ルイ・セロー

ヘンテコピープルUSA読了○。副題は「彼らが信じる奇妙な世界」。著者のルイ・セローはイギリス人で、英国BBC放送のTVドキュメンタリの、製作者にしてレポーターにしてジャーナリスト。アメリカのちょっとヘンな人たちをレポートした番組で人気を博した。宇宙人を殺したと主張する男、白人至上主義のコミュニティの主催者、アメリカのポルノ業界に憧れ就職した若者、カルト集団ヘブンズゲイトの生き残り、などなど。彼らは、いま、どうしているのか?10年に及ぶ番組制作の中で、特に印象深かった人々に、もう一度会いにいく、という企画を思いついた著者は、単身、アメリカに渡り、おんぼろ中古車を運転してアメリカ中を走り回る・・・。

登場するのは、こんな人たち。

宇宙人を殺した男、ソア・テンプラー
爛熟のポルノ業界の行き着く先は?JJ・マイケルズ
起死回生なるか?ティナ・ターナーの元夫の最晩年、アイク・ターナー
究極の愛国主義を目指して、マイク・ケイン
誠意と偽りの狭間で-売春施設の日常、ヘイリー
気のいい白人至上主義者、ジェリー・グルードル
それは虚勢か現実か-ハードコア・ラッパーのライフスタイル、メロウ・T
カルト集団ヘブンズゲイトの生き残り、オスコディ
億万長者になる方法、教えます、マーシャル・シルバー
母はナチスの信奉者-白人優位を歌う美少女デュオ、エイプリル、ラムとリンクス

このトンデモぶりを笑う、ってのが元々のTVドキュメンタリのコンセプトだったんだと思う。そこにはヨーロッパ人のアメリカ人に対する優越感、みたいな視線も感じられて興味深い。確かに、アメリカ人、ヘンテコぶりもダイナミックで馬鹿っぽくって、大味なんですわ。日本だとこうはいかないよね。もちろんヨーロッパでも。

明らかに反社会的な信条とかトンデモ思想を、俺がソレを信じているからという理由だけで堂々と主張してしまう、臆面のなさというか図太さというか無神経さというかノー天気さ。これ、アメリカって国、ならではの味なんだなあって思ったよ。原野が広がっていて、勝手にそこに来て暮らし始めたんだ、っていうイメージ。社会とか政府とかと個人との距離感ってものが、日本とかとは全然違うんだな、っていう。 国とか政府とかは関係ない。俺が暮らしてんだぜ、って感じ。

でもね、ヘンテコを通じて知るアメリカって感じで読み進むうちに、ちょーっと違うトーンに気付く。そう。この本、表紙とかの馬鹿っぽいつくりとは裏腹に、けっこう真面目で内省的な本だったんですよ。考えてみれば、TVドキュメンタリ自体はヘンテコぶりを笑うのが目的だったとしても、その人たちにわざわざもう一度会いに行くってのは、ただの野次馬には思いつかない企画だったってこと。

内省的な感じの真面目で気弱なイギリス人の若者が、アメリカのヘンテコな人々の懐に飛び込み、仲良くなって、こんなコト訊いたらやっぱマズイかな、と思いつつ、でも諦めずに正面からちゃんと訊いていく。はぐらかされたり嫌われたりすることもあるけどね。完成したレポートというよりは、取材に関する悩みや苛立ち、迷いが一杯の道中記って感じなんですわ。どーしてこの人たちが気になってしまったのか、自分で自分を不思議がりながら、モーテルを泊まり歩くハードな取材の旅は続く。思い通りには全然、ならない。

ってわけで、読後に残るのは、ちょっと切ない、感じです。ヘンテコな人々の、ヘンテコである部分以外の、人間性に気付くから?どうしても、分かり合えない部分に向き合うから?自分の中に彼らと同じモノを見るから?

見かけによらない本、でした。村上春樹さんが丁寧な解説を書いてるしね。 一読をお奨めします。

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2011年2月 6日 (日)

【書評】アナーキー・イン・ザ・JP 著者:中森明夫

アナーキー・イン・ザ・JP読了◯。俄かパンクの男子高校生シンジは、21歳で死んだアナーキスト、シド・ヴィシャスに会うために、イタコおばばを訪ねるが、降霊は失敗に終わる。翌朝、シンジの頭の中で声が聞こえる。アナーキスト違いで、大杉栄の霊が呼び出され、シンジの頭の中に住み着いてしまったのだ。繰り広げられる騒動。追体験される過去の大杉の体験。それを通して明らかにされる、日本の元祖アナーキスト、大杉栄とはいったいどんな人物だったのか。そして21世紀日本に大杉栄がよみがえった意味とは・・・?

ま、形式が小説なんで、カテゴリとしては小説に分類していますが、所謂小説ではないよね、これ。ストーリーや表現で読ませるものではない、という意味でね。ストーリーは御都合主義の極みだし、表現は 陳腐でどうしようもない。にも関わらず、この作品が成立するのは、なぜか?歴史上の人物でしかない大杉栄という人物を、生身の人物として、現代(いま)の人物として、蘇らせる試み、とでも申しましょうか。

難しい顔をした社会主義運動家、アナーキストでなく、情熱溢れる心優しきロマンチストで、女性が放って置けない人物として描く。歴史上の事件でしかない事件を、生(なま)の現場ルポのように描く。明治末期~大正時代の時代の雰囲気を、現在(いま)の時代の雰囲気と重ね合わせて描く。

これ、大杉栄の紹介本、賞賛本なんですよね。それから、閉塞感溢れる日本社会に対する警告書、告発書。アナーキスト大杉栄とは、何者であったのか。彼は何故、殺されなければならなかったのか。日本社会は何処へ向かうのか。そういった、事実の発掘、解釈、考察がこの作品の中心を成しているんですわ。だから小説というより実はレポート、読みやすくするために俗な趣向もいっぱい、みたいな感じ。そう思って読めば、後は素材の面白さなんで、それなりに面白く、興味深く読めます。

そもそも俺、アナーキストってのは、わかんないなー。無政府主義と訳されますが、そもそも主義の名に値するのか?何かを作ることでなく、何かから逃れることしか出来ない、というか。そんなもんは思想としては役には立たないじゃん、って思っちゃうんですよ。

一方で、大杉栄のような人物を生かしておくことの出来なかった時代と、現代(いま)の日本の閉塞的な時代が重なって見える、ってトコには、うんうん、と頷く感じがあり、その文脈の中では、内面的な抵抗としてのアナーキズムってのはアリか、とも思う。んで、でもそれ最初っから負けてませんか?っていうツッコミが入るよね。それと”時代が重なって見える”ってことに関しては、”その先”を考えずにはいられないよな。それ、「マネーの進化史」の第六章、チャイメリカの今後、ってコトですかい?果たして歴史に学ぶことは出来るのか?怖えよ。

っとまあ、色々と考えるきっかけにはなったんで、オマケして○。はい。

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