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2010年11月29日 (月)

【書評】寝ても覚めても 著者:柴崎友香

寝ても覚めても読了○。1999年、大阪。22歳の会社員朝子は、麦(ばく)という名の青年と出会う。「好みとかそんなんじゃなくて、ああ、これがわたしを待っていたそのものやったんやなって」。麦は写真を撮られるのが好きでない。麦にはふっと居なくなる癖みたいなものがある。そして。麦が居なくなって。朝子は趣味として写真を撮り始める。数年後。東京に越した朝子はバイト先で麦とそっくりの男、亮平と出会う・・・。

このヒトの小説を読むのは初めてです。きっかけは覚えてないけど、たぶん日経の日曜版の書評で紹介されていたのを見て、だと思う。なにしろ慣れていないもので(このヒトのリズムにね)、最初、流れについていくのがなかなか大変でしたが、乗ってしまえば意外なほどするすると読めてしまいました。んで、読みながらなんでオレはこれ読んでるのかな、ってちょっと不思議な感じがしておりました。一種の恋愛小説で、現代もので、22歳の女性が主人公?明らかに私のテイストではないからなんだが、でも読み終っての感想は、といういと、これが意外と面白かったのですよ。

何が面白かったか、ってのはちょーっとまだ説明しづらいんですけどね。ひとつには主人公の意識の描写かなあ。その漠然とした感じ、その見えるものと実在するものとの間の距離に、意識が振り回される感じが、妙にリアルでね。とても面白い。そのための演出として、”写真”が効果的に使われています。

で、もうひとつは、先が読めなかった、ってことですね。この話が一体どこに落ちるのか、さーっぱりわかんない。以前に、社会的な常識が全く異なる世界が舞台の物語は、オレにとって下手なSFより面白いかもって書いたけど、これもその口?確かに、ある面、とことん異世界ですなあ。

でもね、どうも、そればっかりではないような気がする。面白いかどうかは別にして、妙に”来る”感じ。読み終ってイロイロと考えてしまう感じ。これはなかなか、ありそうでない。決して好みではないけどれど、ちゃんと浸って小説世界を体験した、という実感があるんですわ。へえー。

そうそう。最近、自分が自分としてしか体験できないことが不満でな。で、もしかしたら小説は自分が自分としてでなく世界を体験できる凄い道具なのかも、って思ってて。その意味では、全然自分と関係のないものを読む、知らないものを読むってのはなかなかいいのかもしれないねー。ってことで、この本。試しに一読をお薦めします。あと一冊、同じ著者の書いたもの、読んでみようかなー。この独特の語り口が、”わざと”なのか、どうか。ちょっと興味があるから。うん。

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2010年11月27日 (土)

【書評】政治をするサル―チンパンジーの権力と性 著者:フランス・ドゥ・ヴァール

政治をするサル読了◎。副題は「チンパンジーの権力と性」。原題は”Chimpanzee Politics : Power and Sex among Apes"。オランダのアーネムにある広大な野外飼育施設では、自然に近い状態でチンパンジーのコロニーを観察することが出来る。一頭一頭の個体を識別し、誰と誰がどのように関わったか、紛争の際にどちらの側に味方したか、つぶさに記録することで、チンパンジーの「社会」の構造が見えてくる。ただ単に強ければトップに立てるわけではない。社会的な序列があり、序列の確認のための儀式があり、地位を巡っての紛争があり、紛争の後の和解がある。その興味深い、あまりに人間臭い、習性の数々を紹介する・・・。

なにやら面白かったですぅ。基本的なスタンスとしては学術書というよりは一般向けの啓蒙本なんだと思うが、著者が不器用なのか、全体的に、観察した事件をただ並べてあるという地味な仕上がり。ところがこれが逆に幸いして、俗に流れず、ヘンに煽らず、しみじみ興味深い、面白い本になっています。一読をお奨めします。

何が面白いのか。まずはその興味深い生態。一頭一頭には、はっきりとした個性があり、それぞれの戦略、やり方、手管、で、コロニーに於ける自らの地位の向上を画策し、或いは維持し、或いはライバルの追い落としを図る。そこには、同盟があり、日和見があり、裏切りがある。虚勢があり、面子があり、贔屓がある。あるように見える。とても興味深い。

それから西欧人の類人猿観の変遷、みたいな観点から。冒頭のデズモンド・モリスの序文に出てくるセリフ、「私たち人間は、落ちた天使よりもむしろ向上した類人猿に近い」。ってそれ、あたりまえでしょーが!?っていうツッコミはワシらには出来るけど、西欧人は結構マジで言ってるんだよな。人間と動物は違う、っていう、そういう前提に立っているからな。その辺の葛藤というか、歴史的な変遷が面白いよね。この辺、SSSMとか、遺伝と環境とか、その辺の議論とも絡んできます。

んでもって、もっと個人的な観点からも、とても面白く、ためになる本でしたぜ。どういうことかというと、例えば会社とかでね、自分の体面を保つためにいろいろとパフォーマンスする感じとか、あるでしょ?自分自身もそうだし、同僚とか上司とか見ててもそうじゃん?この本読んでからそれ見るとね、「あー、これ、チンパンジーと同じ同じ」って思うんですよ。「そーか、DNAに書き込まれてるか。じゃ、しゃーねーな」みたいな。で、それはなんだかホッとするんだよ。

この本、「飢えたピラニアと泳いでみた」の中で名著として紹介されててね、読んでみたわけですが。確かに評判どおりの、ええ本でした。一読をお奨めします。ウッキー!

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2010年11月20日 (土)

【書評】Q人生って? 著者:よしもとばなな


Q人生って?読了◯。読者との交流のために設けた自分のサイトの質問コーナーで、くり返し出てくるテーマについて、一般論でなく、正直に、気付いたことを綴る。特殊な環境で人生を送ってきた著者だが、だからこそ見えているものがあるかも、という、よしもととばななの人生相談。

かなり特殊な環境で育った、っていうのはそのとおりだよな、って思う。

珍しくウチのヨメさんが、「読む?」って言って廻してきた。我が家ではこれは「読め」って意味ですから、素直に読む。字も大きいしあっという間に読み終わり、さて、プチ読書会。ヨメさんは冒頭の「ほんとうの優しさってなんだと思いますか?」という相談が印象に残ったのだと言う。因みに要約すると、優しさはそのヒトの「育ち」による、親がしたように、自分の環境でそうであったように、若しくは、親がしてくれなかったこと、自分の環境になかったもの、それが優しさなのだ、だからそれがうまく伝わらないことはよくある、という内容。まあウチのヨメさんは強引でおせっかいなトコがあるんで、誤解されて痛い目に会ったんだろうなあ・・・。ご愁傷さまです。

私は、というと、「底」の話が面白かったな。”なんでも底の底の底に沈むと、そこには広い空間があり、呼吸も深くなり、ものごとが静かに見えてくるものです。”うんうん。そうなんだよねー。すぐにそのことは忘れてしまうけど。でもそこに軸をおくってのはいいかもしんない。うん。

よしもとばなな、キッチンはなかなか衝撃的なデビューで、その後もわりと贔屓にしている作家なんだが、追いかけて熱心に読むって感じではない。読めば「ああそうだよね、ホントだよね。」って思うんですけど。感動もするんですけど。でもそれだけでは済まないでしょ?って感じ、ソレをいま言われても困るんですぅ、って感じ、分かりませんか?これはワタシが男だから?

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2010年11月16日 (火)

【書評】報道が教えてくれないアメリカ弱者革命 著者:堤未果

報道が教えてくれないアメリカ弱者革命読了◎。副題は「なぜあの国にまだ希望があるのか」。”ルポ貧困大国アメリカ(岩波新書)”の著者、堤未果さんの前著。発行は2006年。

2004年のアメリカ大統領選挙では、全米の投票所の3割が電子式投票機を導入することになった。信頼性に問題があるという報告書が出されているにも拘らず。この選挙は歪められている。ジョン・B・ケニー(41歳)は、電子式投票機の危険性を訴えるためハンストをしながらアメリカ各地を廻る。その同行ルポ「大統領選の光と闇」と「正義の価値」。

2002年春にブッシュ政権によって通った、新しい教育改革法「落ちこぼれゼロ法案」によって、軍のリクルーターが高校に出入りし、高校生をスカウトすることが常態化した。軍に入れば大学進学その他の特典を得られるという甘言で釣って。案に相違して前線に送られ、帰国後も深刻なPTSDの症状に悩み、職を得られず、ホームレス化する若者たちを描く「アメリカの見えない徴兵制」、「見えない列車に乗せられる若者たち」。

こうした、アメリカの恐ろしい現実を見据えながら、それでも尚且つ著者はそこに希望を見る「未来を選び取る自由」、「エピローグ」、「あとがき」。

冷静に客観的に記述しようとしていた”ルポ貧困大国アメリカ”に比べて、もっとドラマっぽくって、ドキュメンタリタッチで、生々しい。読んでるとね、そのやり口の汚さ、えげつなさにね、ムカムカしてきて気持ちが悪くなるんですわ。搾取搾取搾取搾取搾取。アメリカ。怖えな。この社会の手触りは。読めば読むほど背すじが寒くなる。

日本は日本で腐っているが、アメリカも半端ない。つくづくこういう社会はごめんだよ。出張の電車の中で一気読みして、一日プリプリしていたように思います。読んじゃったら、冷静ではいられないよな。

しかしこの本が出版されてもう4年が経つが、さてアメリカは変わったのか?著者がこの本で信じた”希望”は現実のものとなったのか?イラクからの撤兵は?ねえ?そりゃ共和党から民主党に交代し、ブッシュはオバマになったけど、でも一旦出来上がった搾取システムは今日も着々と・・・。こわいこわい。一読をお奨めします。

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2010年11月13日 (土)

【書評】サッカー戦争 著者:リシャルト・カプシチンスキ

サッカー戦争読了○。1969年、サッカーの試合をきっかけにエル・サルバドルとホンジュラス間に勃発した百時間戦争のルポルタージュである表題作のほか、1966年の内乱のナイジェリアで、白人は生きて帰れぬと言われた道を車で駆け抜ける「燃えるバリケード」、1960年のコンゴ動乱、死の半歩手前「ちょうどこの時点で書き始めるこことができるかもしれない一冊の本についての草案」、等々、ラテンアメリカとアフリカを舞台とする、革命と戦争、歴史と思索の一冊。

カプシチンスキ、2冊目。何しろ危ない目に遭いまくり。こんな仕事してたら命がいくつあってもたりないな。凄いもんだ。オレにはとても務まりそうにない(←それはアタリマエだろ)。

因みにアレだよ、サッカーをきっかけに戦争始めるなんて、しょうがないんだからまったくもう、っていうような軽いノリではまったくありませんよ?言うまでもないことかもしれませんが。もちろんその背景には、国民性がありサッカーへの熱狂がありますが、それと同様に、政治的な理由があり経済的な貧困があり歴史的な因縁があるわけです。ただ現象としての戦争(だけ)を取り上げているのではない。その歴史的背景の紹介を含め、真っ正面からルポしてます。また、だからといって冷静で客観的な記述なのかというと、それが真逆。カプシチンスキ自身が戦場で取り残され、必死の脱出行。手に汗握るってのはちょっと違うが、あまりに生々しい戦場の様子は、ルポというよりはカプシチンスキを主役とする映画の1シーンのようです。

人種的には「白人」だが、ヨーロッパ内でドイツ、ソ連に蹂躙され、植民地化された過去を持つポーランド人だからこそ第三世界の人々の気持ちが良く分かる。だからその代弁者として身体(からだ)張って取材に駆け回る。ってことだよな?偉い人だなー。

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2010年11月10日 (水)

【書評】飢えたピラニアと泳いでみた へんであぶない生きもの紀行 著者:リチャード・コニフ

飢えたピラニアと泳いでみた へんであぶない生きもの紀行読了◎。著者のリチャード・コニフは動物ジャーナリスト。この本は、ナショナル・ジオグラフィック誌やディスカバー誌に掲載した動物に関するルポ若しくはエッセイ、コラムをまとめたもの。

面白い面白い。見かけによらず基礎のしっかりした博物誌、であると同時に、ピリッとした皮肉と風刺の効いたユーモアエッセイであり、且つまた、真摯な生き方を貫くナイスガイの自伝的要素も含む。面白くってためになる、ちょっとほろにが隠し味の好著ですなあ。ええ本です。一読をお奨めします。

いいねえ、この人。ただルポするだけでなく、自らやってみないと気が済まない難儀な性格ってゆーか。本書のタイトルにもなっているように飢えたピラニアと泳いでみたかと思うと、クライミング用の壁の間にロープとボルトハンガーを使って蜘蛛の巣のようなものを張ってみたり、リカオンの群れの前で車から降りて彼らが襲ってくるかどうかを試したり。文字通り、身体(からだ)張ってます。普通の(スーツ着てオフィスに勤めるような)仕事は出来ない男が、やっと出会った天職、っていう感じかな。

でもただのウケ狙いではない。ベースになっている記事の内容はとてもしっかりしていて、博物誌或いは科学読本として一級なので、安心して読める。

こういうジャンル、日本ではあまり見かけないよね?んで、今回、それはこういう人間を飼っておくところが、日本にはない、からではないか、と思ったのでした。規格外絶滅危惧種。みょーに共感を覚えてなあ。はっは。

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2010年11月 2日 (火)

【疑問?】補正却下の決定に対しての不服の申し立て

偶(たま)の勉強ネタです(笑)。

LECの2010年度版弁理士試験体系別短答過去問、特許法・実用新案法を解いていて、わからないところがあったので、頭を整理するという意味も含めて、書いてみたいと思います。

第8章 訴訟の379頁、正誤問題。枝の(イ)にこうあります。
「拒絶査定不服審判において、補正の却下の決定を受けた場合には、東京高等裁判所に補正の却下の決定に対する訴えをすることができる。」

で、解答にはこうあります。
「特159条1項で準用する特53条3項は、補正却下の決定に対して不服を申し立てることは出来ない旨を規定している。したがって、拒絶査定不服審判において受けた補正却下の決定に対しては、東京高等裁判所に訴えを提起することはできない。よって本枝は誤り。」

???しかし53条にはこうあるではないですか?

「(補正の却下)
第五三条 第十七条の二第一項第一号又は第三号に掲げる場合(同項第一号に掲げる場合にあつては、拒絶の理由の通知と併せて第五十条の二の規定による通知をした場合に限る。)において、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面についてした補正が第十七条の二第三項から第六項までの規定に違反しているものと特許をすべき旨の査定の謄本の送達前に認められたときは、審査官は、決定をもつてその補正を却下しなければならない。
2 前項の規定による却下の決定は、文書をもつて行い、かつ、理由を付さなければならない。
3 第一項の規定による却下の決定に対しては、不服を申し立てることができない。ただし、拒絶査定不服審判を請求した場合における審判においては、この限りでない。

これ、3項が言っているのは、補正却下に不服を申し立てることは出来ないが、拒絶査定不服審判においては不服申し立てしてもいいよ、ってことではないんですかね?ワタシはそう読んで、本枝は正しい、と思ったのですが。でも冷静に考えて、解説でこんな明白な間違いをするとは思えない。

そういえば「拒絶査定不服審判を請求した場合における審判においては」という言い回しはなんとなくヘンだ。何かワタシ、根本的に勘違いしていますか?

どなたか、御教授願えれば幸いです。

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