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2010年4月 1日 (木)

【書評】数えずの井戸 著者:京極夏彦

数えずの井戸読了◎。昔、惨事があり、関係者は死に絶え、今は荒れ果ててしまった番町青山家屋敷跡、通称皿屋敷に、夜な夜な亡魂(ゆうれい)出でて、数を数えるという・・・。一枚二枚三枚・・・・。何故現れるのか。何があったのか・・・。京極版、怪談番町皿屋敷。

ウチのヨメさんが京極好きなんですわ。オレはってーと、半分半分ってとこかな。榎木津と京極堂が出てくるシリーズはあまり好きじゃない。ちょっと鼻につく。百物語のシリーズは好き。この本には又市も徳次郎も出てくるけど、ちょっと他の作品と役回りが違うといえば違う。百物語のシリーズかと思ったら、実は、百物語のシリーズではなかった、ってゆーか。

ミステリ作家には2つの系統がありますね。パズラーとドラマー。謎解きがメインの作家かドラマがメインの作家か。理を書く人か情を書く人か。昔は”本格もの”と”社会派”という言い方をしましたが。この人(京極夏彦)は徹頭徹尾”理”の人で、その小説世界は当然”理”によって貫かれている。典型的なパズル作家であると、そう思っていました。

この「数えずの井戸」も、”理”で書かれている。それは間違いない。一枚二枚三枚・・・、”数える”というキーワードを元に、登場人物は極端なまでにキャラクター化されデフォルメされた人物像。しかし、 そのデフォルメされたキャラクターが、元の”番町皿屋敷”を遥かに離れて、如何にも今風のキャラクターであってみれば、手法としては”理”をもってパズルを書くという手法のままに、”情”を描くことになっている、ドラマを描くことになっている、今を描くことになっている、のだなあ、と。

紋切り型って、ふつう、駄目じゃん?パズラーはそこんトコで底が浅い感じがするので、あまり好きではないのですよ。森博嗣とか柳広司とかさ。どうしても作 品が軽くなる。ところが、この作品、徹底的に典型的なキャラクターを造型して、その内面を語らせるという、不思議な手法。外側から見るキャラクター像と内側から見るキャラクター像の違いというか。紋切りを突き詰めると、紋切りが 紋切りでなく なる瞬間がやってくる、というか。

京極版”藪の中”という側面もあって、夫々の立場の分だけ、物語がある。夫々のキャラクターの分だけ、物語がある。”事件”に至るまでの過程にね。

このデフォルメされた、キャラクター化された、登場人物の内面を、理によって外挿して描き切るってのは、そしてそれを全体から見たら色んな風に見える多面体に仕上げるってのは、なかなか大変なことですよ。

いま、ウチのヨメさんに廻っている。次は上の息子が読む。そうだ下の息子にも読ませよう。んでもって家庭内読書会でも開いてみるかな。

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