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2010年4月29日 (木)

【書評】1Q84 BOOK 3 著者:村上春樹

1Q84 BOOK 3読了◎。牛河は「さきがけ」の依頼で青豆の身辺を洗い、問題はないと判断し、そのように報告した。しかし実際にはリーダーは殺害され、教団が組織を挙げて追っているが、青豆の行方は杳として知れない。リーダーのボディガードであった”坊主頭”と”ポニーテール”の立場は微妙だ。坊主頭は牛河に告げる、青豆が見つからないと、お互い困ったことになりかねません、と。牛河はこれまでに判明したことの一部を坊主頭に話すことに同意し、話し始める・・・。

BOOK1、BOOK2では、”青豆”の章と”天吾”の章が交互に語られていましたが、BOOK3ではそれらに”牛河”の章が加わります。そう、BOOK1で天吾に「新日本学術芸術振興会専任理事」の名刺を差し出して、ある種の取引を持ち掛け、そして袖にされた、あの牛河です。短躯で出目で才槌頭の、あの牛河です。ただの脇役かと思ったら、そうではなかったのね。訳ありの脇役だったんだ・・・。

面白いです。春樹節、相変わらず名調子で。この人の文章は癖になるな。続きを読みたくって堪らなくなるもの。読んでいる間、どっぷり浸かってしまうもの。思わず同じような言い回しで、日常生活を頭の中で描写したりしてしまうもの。この、小説世界に浸かる感じ、読書冥利に尽きるね。異世界を体験する。そのために読書する。そこに理屈はいらないんだ、オレ。体験できるかどうかが大事でね。

ネタはばらさない、ってのがこのブログのポリシーなんで、これ以上のことは書けないなあ。青豆と天吾は会えるのか?牛河は青豆を捕まえることが出来 るのか?そして「さきがけ」とリトル・ピープルは?

今ネットで検索したら発売12日目で100万部に到達したのだそうで。凄いね。確かに廻りに読んでるヒトがいるものな。ワシ、棲んでいるのが出版業界とかでなく、普通のメーカーなもんでね、普段は身のまわりに本を読むヒトがあまり見当たらないのよ。でも1Q84に関しては普通に、もう読みました?ってな会話を、商談に入る前の四方山話として、出来る。100万部ってそういうことなんだよなあ。

因みにワシの周囲での評判は悪くないですよ。BOOK1、BOOK2は詰まんなかったけどBOOK3は面白かった、ってヒトも居たりして(それはどういう意味なの?って聞きそびれたけど)、これまでのところ、詰まんないってヒトには会ったことない。

ってわけで、読んで損はありません。一読をお奨めします。あ。もう読んでるって?

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2010年4月27日 (火)

【書評】天地明察 著者:冲方 丁

天地明察読了◎。時は江戸時代初期、四代将軍家綱の世。戦国の風を過去のものとすべく、文治による政治の基礎が固められつつある時代。

囲碁の家元四家のひとつである安井家の碁打ち、二代目安井算哲は養子である兄の算知に遠慮し、保井姓或いは渋川春海を名乗っている。自らの曖昧な立場と退屈な御城碁に飽きつつも、真面目に職分に励む彼の楽しみのひとつは算術。市井の算術塾で、全ての設問を一瞥即解する人物の噂を聞く。その天才の名は関孝和。関が自分と同年と知った春海は衝撃を受ける。

春海は老中酒井忠清の指名により、北極出地という、幕府による測量隊のメンバーに抜擢される。一隊は日本全国を測量し、また、暦についての研鑽を積む。元(ゲン)で開発された授時暦による改暦こそが混乱を収拾し、併せて文治政治の担い手としての新しい武士像の提示となる。幕閣の重鎮保科正之の深慮によって、春海は秘密裏に改暦の儀のリーダーを拝命する。

数年に亘る研究の末、春海が提案したのは、暦により日蝕・月蝕を公開予測し、六番勝負でその精度を競うという、前代未聞の方法であった。自らの取得した授時暦の精度に自信を持つ春海だったが・・・。

わお!これは!凄いです!面白い!うーん、参った。こおいう言い方は失礼ですけど、冲方 丁、化けましたねー。大化け!正統派時代小説、正統派ビルドゥングスロマン、正統派エンタテインメント、ってトコでしょうか。お恥ずかしい話ですが後半、目頭を熱くしながら一気読み。魅力的なキャラクター、歴史的事業の重み、受け継がれる思い、日本独自の算術の世界、友情と愛情と。どれ一つを取っても、見過ごせない、目が離せない。将に、本を置く能わず。いやー、凄え。

ってわけで、これはお奨めです。読みましょう。是非!

(ついでと言っちゃーなんですけど、同じ著者による、マルドゥック・スクランブル(第1巻「圧縮」、第2巻「燃焼」、第3巻「排気」)も超お奨めです。こっちは読めるヒトと読めないヒトがいるとは思うけど。因みにウチのヨメさんはこっちはギブでした。まったく。)

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2010年4月25日 (日)

【書評】ベルカ、吠えないのか? 著者:古川日出男

ベルカ、吠えないのか?読了○。20世紀は戦争の世紀だった。そして軍用犬の世紀でもあった。1942年、旧日本軍はアリューシャン列島のアッツ島とキスカ島を占領、しかし1943 年に島はアメリカ軍に奪還される。一方に、キスカ島に残された旧日本軍の軍用犬の生き残り3頭(北海道犬1頭、ジャーマンシェパード2頭)の連綿たる系譜。もう一方に世界で初めて宇宙犬(ライカ犬)を生み出したソ連が極秘裏に設立した、秘密機関”S”の歴史を配し、イヌを狂言廻しとして、現代戦争・紛争・犯罪偽史が描かれる。そして、それと交互に、もう一つの物語。旧ソ連崩壊後に現れたロシア・マフィアとチェチェン・マフィアの抗争に日本のヤクザが絡み、ヤクザのお嬢は人質として囚われる。・・・”「指(エンコ)詰めさせるぞ」と少女は言った。無音の虐殺を展開した人物に向かって、日本語で。十一歳か十二歳の声で。”

例によって全く予備知識のない状態で読み始め、いったい何のはなしなのか?二つの話はどのように絡んでくるのか?と訝りながら読み進む。この作者の壮大な騙り、縦横無尽の嘘、すごく好きなんですわ。いいねえ。

因みに、冒頭のあらすじ紹介に出てくるヤクザのお嬢は確かに十一歳か十二歳ですが、”萌え”の対象としてはお奨めしません。ここの引用だけ読んであわてて本を注文して、これは思ってたキャラと違う、ってクレームが来ると困るんで、予め誤解を解いておこうと思いまして。ってなんの心配をしてるんだか(笑)。

ただ今回のこの終わり方はどうなの?ちょっと唐突で、え?って感じなんすけど。広げるのは得意だが畳むのは苦手だとか?何か忘れ物した、みたいな気持ちになりました。読んでる間はとてもとても面白かっただけにね。何だろう?うーむ。ソ連=ロシア、1991年。その政治的緊迫感をワシが実感出来てないからか?個人的にはどうももうひと廻り大きな嘘が必要だったという気がして仕方ないんだが。惜しい。勿体ない。或いは物語の終わらせ方に関する意識がワシとかなり違うんでしょうかねえ。

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2010年4月24日 (土)

【書評】厭な小説 著者:京極夏彦

厭な小説読了○。京極夏彦の小説、現代もの、連作短編集。テーマは”厭な”。厭な子供、厭な老人、厭な扉、厭な先祖、厭な彼女、厭な家、厭な小説、の、合計7篇を収める。その全ては”厭だ。”で始まり、”厭だ。”で終わる。

わら半紙のような手触りの紙質、古びて汚れたかのような装丁、その上、ご丁寧に各ページの周囲には”経年のヤケ”に見えるように薄黒く印刷がしてある。”厭な感じ”を味わわせるためにわざわざ、こういうつくりの本にしたんだろうなあ。と思いつつ読み進む。本文中にも繰り返し繰り返し”厭”の文字。そしてまた話の内容がとても”厭な”話でね。冒頭2篇を読み終わった段階で、「何でオレ、これ読んでるんだろう?」と真剣に悩んだが、しょうがないので最後まで読む。

んで、最後まで読むと、なんでこの本が”厭な小説”なのか、なんでこの本をここまで凝って”厭な”かんじにしたのか、一応、わかるようにはなっています。遊んでるねえ。まったくもう。

この本、誰が読むのかねえ?やっぱ京極ファンが読むんだろうなあ。因みに読んでる最中にうちのヨメさんが「あ、京極だ、次、貸して。面白い?」と聞いてきたので、「いやホントに厭な話でなあ、オレなんで読んでんだかわかんなくなってるトコ」と答える。ヨメさんは凄え厭な顔をして「じゃいらない」と。「そんなこと言うなよ、貸してやるよ」「でも厭な話なんでしょ?」「そう」「それ聞くとなー」「だって厭な感じを出すためにわざわざ厭な話を選んで書いてるんだからどうしたって厭な話になるよ。京極は理詰めで徹底的だからなー。ファンだったら読まなきゃ」「・・・厭だ」。

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2010年4月23日 (金)

【書評】消えた少年たち 著者:オースン・スコット・カード

消えた少年たち読了◎。フレッチャー家は、アメリカ南部のノースカロライナ州ストゥベンに越してきた。プログラマーのステップ、妻のデァンヌ。それから子供たち、スティーヴィー、ロビー、ベッツィー。やっと見つけたソフト会社の年収3万ドルのマニュアル書きの仕事。しかし上司はどうやら最低野郎だ。辞表を叩きつけてやめたいところだが、ステップは家族のために我慢する。ディアンヌは南部のこの土地に馴染めないが、モルモン教の境区(ワード)の仕事をこなすことで徐々に生活のペースを掴みつつある。そしてスティーヴィー。学校で何かあったのか?家では弟たちと遊ぶことをしなくなり、友達と一緒に遊んでいるのだと言うが、その友達は誰の目にも見えない。空想の友達?そんな年でもないのに。ステップとディアンヌは心配で堪らない・・・。

正直でまじめなオタクが、社会との折り合いをなんとかつけつつ、自分のファミリーを懸命に守っていこうとするその姿勢に、自分の姿を重ねてしまいまして な。すげえ入れ込んで読み耽ってしまった(笑)。んでもって、その夫婦間のやり取りだとか、子供たちとのやりとりだとかがなんとも言えずリアルでなあ。頭 の中で起きている、幾層にも重なった心の動き、例えば、正直であろうと努力する感じとか、正直であろうと努力する姿勢を自分で批判する感じとか、が、とて も身近に感じられてね、もう、主人公のオタク中年であるステップと一体化して居りました。そういう意味ではとても個人的な読書体験だったんだな、これ(笑)。

ま、それ以外の意味でも面白かった。いろんな意味でね。思わずウチのヨメさん(ミステリマニア)にも奨めてしまった。

まずはミステリとして。アメリカ南部の町ストゥベンの連続少年失踪事件の顛末。純正のミステリのマニアの方は、怒るかな?どうかな?ワシは、全然許しちゃうけどね。

んでもって、なつかしコンピュータの歴史。アタリ、コモドール、PET、などなど、なつかしのマシンが登場します。当時のPC業界の雰囲気がうまく書けていると思います。

それからモルモン教の現実を内側から描いた作品として。オースン・スコット・カードがモルモン教徒だってのは、わりと有名な話だよね?ワシは確かエンダーのゲームの解説で知ったんだっけか。作品の思想背景として宗教的なものを感じることはあったけど、この作品ではモルモン教の実際の活動の模様等々が描かれていてなにやら面白い。タテマエでなく、教団内部の人間関係とか信仰に対する立場の違いによるいがみあいとかが、ごくあたりまえのものとして出てきます。そこんトコが新鮮でな。

夫婦のあり方に関する小説として。ステップとディアンヌ、二人の夫婦の会話がとてもリアルで面白い。お互いを深く愛しているけれど、日々の暮らしの中で生じるちょっとした行き違い、子供の教育に対する考え方の差、等々が摩擦を生む、その感じ。そしてそれを認識した上で正面から乗り越えようとする姿勢。なんていうか、人間味あふれる小説なんですわ。ストーリーを進めるだけのキャラじゃなくって、どの会話をとっても、キャラが生きているっていうか。

ええ小説です。いろんな人にお奨めしたい本ですが、そうですね、特に、まじめに生きてるオタクなあなた、それからオタクな夫と結婚しているあなた、是非ご一読を。

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2010年4月17日 (土)

【書評】電子書籍の衝撃 著者:佐々木俊尚

電子書籍の衝撃読了○。サブタイトルは”本はいかに崩壊し、いかに復活するか?”。著者は毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経てフリージャーナリスト。本が電子化される世界がやってくる。その世界は私たちの「本を読む」「本を買う」「本を書く」という行為に、どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか・・・?

PDF版を先行して110円でダウンロード販売するという思い切った販売戦略で、ネット上で話題になりましたな。どれくらい売れたんだろうな。なんつっても紙版の1/10だからなあ。

んでもってダウンロード販売時に不具合を起こし、そのトラブルとトラブル解決の模様がまた話題になったってのも、なかなか面白かった。Twitter上でチラ見しただけですが。

さて中身の感想。経歴から、スタンスとして”書き手”寄りになるのは仕方ないし、”読み手”の側に立つのも当然ですな。それでも極端な立場をとることなく、読み手・書き手・流通業者の3者夫々にとっての、出版の過去・現在・未来について、先行事例としての音楽業界とアメリカの現状を引きつつ、わかりやすく解説してあります。IT業界寄りの、ヘンにマニアックな世界の解説に踏み込んでないのも、一般書としてはプラスでしょう。ちょっと文章が回りくどいのだけ、玉に瑕か。

この件について問題点を概観したい人は、取り敢えず読んで損はない本だと思います。

んで、別の観点からの感想。オレ、読み手として読んだかな?書き手として読んだかな?思うに、セルフパブリッシングについて、キチンと説明してくれた本は初めてなんだよね。ネットをちゃんと探せば見つけられた情報なんだろうけど、ね。

以前に音楽の世界を見てて思ったことを思い出したんだよな。それは、才能があれば、創作して発表して支持される、そういう場が生まれているってこと。必ずしもお金という形での報酬とは限らない。世界がフラットになれば、才能があれば、やったもん勝ちなんだよ。プアミルクとか見てるとそう思う。フラットな世界って、そういうことだ。才能があれば、埋もれたままで居ることは難しいのだよね。才能があれば。

好きなことをやる。それを発表する。もしかするとそれは誰かに評価され支持される。VERY GOOD!だね。また、もしかするとそれは誰かに評価されず支持されないかもしれない。OH!MY GOD!でもよ。もともと好きでやってたんだから、それはそれでいいじゃん?音楽という世界で、そういうことが起こっている。

そうなると、才能って何かというと、やらずに居られないことを、やり続けることが出来る、っていうことなんだと思うんですよ。やりたいことをやる、ってことなんだ と思うんですよ。自分がなにをやりたいのか知っていること。自分が何を好きなのかを知っていること。これは音楽だけの話じゃなく。ネットで流せるものなら何でも、そうなりうるのだと。

自分が好きなことを知っていて、それをやり続けることの出来る人、そういう人が、これから先、勝つんだ、って話。人生終わるときに、ああ、好きなことやった人生だった、って言って死ねるんだから。そう思ったときに、フラットで自由競争な世界ってええなあ、って思ったんだよね。

ってわけで、さてワタシは今日も本を読み、ブログを書く。ではまた明日ね。

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2010年4月15日 (木)

【映画レビュー】ザ・マジックアワー 監督:三谷幸喜

ザ・マジックアワーを観た◎。舞台は海に近い港町、守加護(すかご)。町を牛耳るボス、天塩の女に手を出してしまった手下の備後(びんご)は、5日以内に凄腕の殺し屋”デラ富樫”を連れて来なければ、ボスに消されてしまう運命。必死でデラ富樫を探す備後だが、所在はおろか顔すら掴めない。デラ富樫の素顔を見た者はいないのだ。備後は、苦肉の策で、売れない俳優村田大樹(佐藤浩市)を雇って、デラ富樫に仕立てあげることにする。村田は全てを映画の撮影だと信じ込んだまま天塩と対面、天塩は村田演じる殺し屋デラ富樫を本物と思い込み、雇うことに。備後は村田と天塩、それぞれを騙し通すことが出来るのか・・・。

いまごろ、のこのこDVD観てんじゃねえよ、って声が聞こえてきそうだ。むちゃくちゃ面白かったっす!一家四人で観たんですが、いやー。久し振りにみんなで爆笑しましたがな。単なる比喩でなくホントに”泣くほど面白い!”。おなか抱えてひぃひぃ言いながら観てました。いいなあ。好きだなあ。三谷幸喜、ええ仕事してまんな。

前作”有頂天ホテル”はね、面白くないことはないんだが、うーん、ちょっと苦しかった。辻褄を合わせるのに一生懸命な感じが、なんというか、こう、ね。”ザ・マジックアワー”は、辻褄を合わせるのを楽しんでいるというか、開き直っているというか、もっとダイナミックなんですわ。或いは、”舞台”をベースとした発想(有頂天ホテル)と、”映画”をベースとした発想(ザ・マジックアワー)の差、というべきか。圧倒的にパワーアップしてます、”ザ・マジックアワー”。

まさか、リアリティが云々、なんて無粋なこと言ってケチつける人は居ないと思うけど、念のために一言。映画の中では映画のようなことが起きる。だってそれが映画のお約束なんだから。その方が面白いから。その方が映画らしいから。だってこれ映画だもの!ってシナリオなんです。アレもコレも。愛だなあ。

佐藤浩市がいい味出してるよなあ。もうノリノリだよね。しみじみ、いいなあ・・・。コメディ好きな方、映画好きな方、マヂでお奨めします。これ、観なきゃ損ですぞ。(って、もうとっくに観てるって?ゴメン)

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2010年4月13日 (火)

【書評】ブラックジュース 著者:マーゴ・ラナガン

ブラックジュース読了○。ぼくの姉さんであるイッキーは、後ろ手に手を縛られて、タール池の真ん中にまっすぐに立つ。少しづつ、イッキーの体はタール池の中に沈んでいく。ぼくたち家族はその周りにマットを広げ、ご馳走を食べ、イッキーに食べさせてあげる。池の周囲から大勢の人々が見ている。イッキーはだんだん沈んでいく。夫を殺した罪で、生きたままタール池の中に沈められるのだ・・・。”沈んでいく姉さんを送る歌”をはじめとして、短編10篇を収める。

2005年度の世界幻想文学大賞(短編集部門)受賞作”Black Juice”の全訳。河出書房新社の奇想コレクションの一冊ですが。これ、幻想文学なんですか?そりゃま、幻想=甘ったるい、じゃない、ってことはもちろんなんですけど、幻想文学と呼ぶとちょっとしっくり来ませんな。かといってSFじゃない。ファンタジーでもない。なんなんだろう、この読後感。

うーん。好き嫌いで言うとあんまり好きじゃない。短編というより断片という印象。説明もなくある世界のあるシーンが描かれ、唐突に終わる、っていう感じの作品が多い。読むのに苦労しました。訳文との相性もあるのかなー?それとも作者の興味の持ち方がオレとあまりに合わないってことが大きいのかなあ。

作者はオーストラリア出身の女性だそうで。オーストラリアの小説って、一種独特の雰囲気があるよね。ちょっとザラッとした手触りというか。丁寧な説明は省いていきなり本題に入っちゃう感じっていうか。静かで不気味な暴力の影が見え隠れするというか。ワシの偏見かしらねえ?

ざらざらしたのが平気な方、説明がなくても大丈夫な方、一読をお奨めします。

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2010年4月11日 (日)

【書評】鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書) 著者:野口武彦

鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書)読了◎。鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍は破れ、徳川家の凋落は決定的なものとなった。結果を知る我々は往々にしてこの結果を歴史の必然として見てしまう。しかし本当にこの敗戦は避けられないものだったのか?根本資料を丹念にあたって再構成し、戦況を時々刻々と変化するものと捉える視点を持つことで見えてくる様々な可能性の数々。

プロローグで述べられてますが、歴史にIFはない、なんてことをいうけれど、そもそもこの言葉はどこの誰が言い出したのか、出所不明なんだそうで。だよなあ。”歴史的必然”というフィクションに頭を乗っ取られた俗流史観のなれの果ての戯言だ。第一、それじゃあ面白くないじゃん?想像する楽しみってものがないよね。

ってわけで鳥羽伏見の戦い、面白いです。4日間の戦闘の模様ををドキュメンタリタッチで追い、旧幕府軍側の戦略・戦術上のミスを指摘していく。それは実に逸機①から逸機⑤に及ぶ。

逸機① 戦闘第1日目午後7時。維新軍は鳥羽方面の兵員配置で手一杯であり、7時過ぎまで竹田街道には一隊も配備していなかった。会津の白井隊が虚報に惑わされず竹田街道を進入路に選べば、容易に入京の上、鳥羽街道防衛の薩軍を右背から包囲攻撃して破砕することが出来たであろう。 

逸機② 戦闘第2日目。薩長両軍の追撃は富ノ森南方で会津の反撃に遭う。思いがけぬ反攻で薩長軍は下鳥羽まで後退、旧幕府軍は富ノ森陣地を奪還する。しかし現地総大将の竹中重固は勝機に乗じてあと一押しすることが出来ない。時を移さず追尾して反攻すれば局面はわからなかった。

逸機③ 戦闘第2日目。宇治を迂回して新政府軍の本営桃山の背後を衝く作戦が立てられた。しかし任に当たったのは会津の白井五郎太夫隊のみ。もともと兵数の少ない新政府軍はこの方面は手薄だったのである。宇治迂回作戦はお座なりに一隊を出すのでなく、思い切ってもっと兵力を投入する価値のある作戦であった。しかも、そこへ鳥羽の戦に敗れた大兵が退却してくるや方針をガラリと変え、作戦を撤回している。

逸機④ 戦闘第4日目。そもそも最初の軍配書の段階で山崎街道へ兵力を割かなかったのは非常に大きな戦略的手抜かりであった。一隊でも配備されていたら、藤堂家は旧幕府軍の味方になるつもりだったのである。一月四日の朝でもまだ間に合った。だが若年寄塚原但馬守はその手配を怠った。その結果、藤堂家の裏切りを招き、戦線は総崩れとなる。

逸機⑤ 慶喜の大阪城放棄。これまで数えてきた逸機の最後にして最大のもの。もしここで持久戦に持ち込んで数ヶ月耐えれば、形勢観望の諸藩も動揺し全国の形勢はどう転じるか予断を許さなかったであろう。

あーあ。なんだかなあ。指揮官が無能無責任だとそりゃ勝てないわなあ。ホント勿体ない。

何が勿体ないかってーと、この本のあとがきにある、鳥羽伏見の戦いの敗北が閉ざしてしまった、ありえたかもしれない日本の姿が、勿体ないのよ。

その一、公議政体への道。大政奉還の建白中にあった「広く天下の公議を尽くし」という一句に示された公議政体は薩長勢力のクーデターによって空文となり、現実に樹立されたのは薩長勢力が要職を独占する専制政体であった。

その二、天皇制抜きの近代日本。日本の近代化は必然であったが、それが天皇制とセットになることまでは不可避ではなかった。徳川家主導の独自の近代化においては、天皇を統治機関に引き入れる仕掛けを創ることには慎重だったに違いない。天皇の”神聖にして侵すべからざる”呪力がその後の歴史に与えた影響を思うと・・・。

ってわけで、ダイナミックに歴史のIFを楽しみたい方、ただの大風呂敷ではありません、コツコツと実証を重ねた上での、本物の想像力の翼ってヤツに触れてみたい方、一読をお奨めします。

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2010年4月10日 (土)

【書評】おまえはケダモノだ、ヴィスコヴィッツ 著者:アレッサンドロ・ボッファ

おまえはケダモノだ、ヴィスコヴィッツ読了○。ヤマネ、ヘラジカ、カメレオン、はたまたカマキリ、カタツムリ等々、動物を主人公とする短編20篇を収める。どの短編も主人公の名は”ヴィスコヴィッツ”。憧れの君は”リューバ”。それぞれの動物の習性を踏まえて描かれる、ちょっと風変わりな世界。

変な題名だなー、変な表紙だなー、ってんで手に取り、予備知識なしに読み始めて、結構楽しめました。著者のアレッサンドロ・ボッファは、ローマの生物学関係の研究所に勤務したのち、タイの僧院で瞑想生活をしていた、って話なんで、まあ相当の変人なんでしょう。

ってわけで、表面的でなく、その生物の生態をしっかり押さえた上で、プロットが組み立てられ、描写がなされるわけですな。ところが、でありながら全体を覆うトーンは、ちーっとも科学的なものではない。寧ろ自意識過剰で、ペシミスティックで、アイロニックな感じに満ち溢れているわけです。様々な動物の生態が描かれるが、どんな”生”を生きようとも、ヴィスコヴィッツのヴィスコヴィッツたる自意識は変わらない。自らの存在について考えずにはいられない感じ、っていうか。・・・ホント変な小説だ。

短編名とそれに登場する動物名。きみを夢見て(ヤマネ)、情熱のカタツムリ(カタツムリ)、むさぼる愛(カマキリ)、愛は疑心暗鬼(アトリ)、ボス(ヘラジカ)、黄金虫は金持ちだ(フンコロガシ)、哀しみのラストダンス(ブタ)、迷路を抜けて(ネズミ)、愛のオウム返し(オウム)、沈黙は金(トゲウオ)、さすらいの荒野(サソリ)、野望の帝国(アリ)、アイデンティティーを求めて(カメレオン)、ヴィスコの刑事物語(シェパード犬)、虫けらのようなやつ(サナダムシ)、やさしいサメ(サメ)、みつばちヴィスコ(ミツバチ)、水に流して(カイメン)、王者の悲哀(ライオン)、おまえはケダモノだ、ヴィスコヴィッツ(先カンブリア時代の微生物)。

ヘンな小説が好きな方、一読をお奨めします。

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2010年4月 9日 (金)

【書評】最終定理 著者:アーサー・C・クラーク、フレデリック・ポール

最終定理読了○。”幼年期の終わり”で有名なSF作家アーサー・C・クラークの遺作(合作ですが)。主人公の、スリランカに住むランジット・スープラマニアンは、フェルマーの最終定理を証明することに魅了されている大学生。天文学のヴォーハルスト教授宅のパーティで、魅力的な女性マイラ・デ・ソイザに出逢う。彼女の言葉がヒントとなり、新たな切り口を見つけたところ。一方そのころ、この宇宙に偏在する知性であるグランド・ギャラクティクスは、太陽系第3惑星上での人類の原子爆弾の使用に対して憂慮を深め、配下の異星人ワン・ポイント・ファイヴズに対して地球の”滅菌”を指示、大艦隊が地球に向けて進発した・・・。

因みにフェルマーの最終定理って、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせは存在しない、ってヤツですね。

ああー。なんだか久し振りにSFを読んだな。って感じ。原書”The LAST THEOREM”発行は2008年だけど、全体に流れるのは、真正面からSFしてる、古きよき時代のSFな感じですな。ちょっと説明が難しいけどね。小説としての完成度、っていうのとは別に、SF(サイエンス・フィクション)としてのアイデンティティ、みたいなものを想定していただけると、なんとなく、わかってもらえますかね?

んで、それがある意味微笑ましくも懐かしい。軌道エレベータ、光子帆船、等々のいかにもなガジェットや、思考実験として直球で文明を批判し警鐘をならす姿勢がね。

というとガチガチのハードSFか?って思われるかもしれませんが、それが真逆。全体に流れているのはスープラマニアン君の青春ストーリー、って感じのちょっとほんわかしたトーンなんですわ。この、健全さも含めて昔のSFの味なんだよなぁ。

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2010年4月 5日 (月)

【書評】人間はどこまで耐えられるのか 著者:フランセス・アッシュクロフト

人間はどこまで耐えられるのか読了○。著者はオックスフォード大学の生理学部教授。極限の高さ、深さ、暑さ、寒さ、それぞれについて、人間はどこまで耐えることが出来るのか?また、どこまで速く走ることが出来るのか?それを阻む生理学上のネックは何か?はたまた、宇宙という極限の環境に人間が適応するには?等々、人間の肉体が持つ、環境に適応する精緻なメカニズムと、併せてその限界を、生理学の専門家らしく、正確な知識で詳述する。更に、人間だけではなく、動物や菌類を含めた様々な生き物が登場、驚異の適応力とその仕組みを披露する。

最初、え?こんな細かいトコまで、いいよ、って思わなくもなかったんだけど、これ、邦題が良くないせいかな。原題は”THE SCIENCE OF  SURVIVAL”直訳だと”生存の科学”。何が言いたいかというと、この本のメインテーマは、どこまで、ってトコじゃなくて、どんな仕組みで、ってトコ にあるんだな。

ただの薀蓄本ではないよ。一般読者向けだからって、手を抜かない。ええっ?そんな細かいトコまで?ってくらい科学的に詳しく丁寧に書く。それから、そのトピックにまつわる歴史(科学史)と、過去の科学者たちのエピソードを挿入していく。そして、自身の体験や感想をちょっとユーモラスにちりばめる。イギリスの科学啓蒙本の伝統に則った、正統派の、科学教育書であり科学エッセイ、ってかんじですかね。イギリスのこの伝統は素晴らしい。さすがダーウィンの国か。

読むとわかるけど、人間の肉体のメカニズム、すっげえよく出来ていると感心する。と同時に、人間って思った以上に死にやすいらしいぞ。今までよく死なずに来たなあ、と妙なところで自分の肉体に感謝。

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2010年4月 4日 (日)

【書評】Mac People ( マックピープル ) 2010年 05月号

Mac People ( マックピープル ) 2010年 05月号読了○。レビュープラスさんから御献本いただきました。毎度毎度助かりますぅ。

今月号の目玉は時節柄、なんといっても”後悔しないiPad購入ガイド”でしょう。ああー物欲が物欲が刺激されるんだよぉ。んでもって、実用的で役に立つ”ストレージ安心安全活用術”、それから別の部分の物欲を刺激する特集”手のひら一眼はコレを買う!!”。その上、気の利いたよく出来た付録”別冊付録オンラインウェア超便利帳”までつけたりなんかして。新学期がはじまる時期なんで、力入ってるよなあ、って感じです。はい、いつもより余計に特集しております~。そういう意味ではお買い得かも。

巻頭特集●もうすぐ発売!! iPad総復習
第1特集●実践的ストレージ活用FAQ
第2特集 ●デキメン白書 Ver.2010 Spring
第3特集●キーボード入力再入門
第4特集●手のひら一眼で楽しく撮ろう
特 別企画●仕事でマックを使うなら絶対! Bento 3
MacPeople×APPLIYA合同企画●誰でも作れる!! iPhoneアプリコンテスト
People Watching●「サカナクション」リーダー 山口一郎
グラビア●荒井 萌    
別冊付録小冊子●オンラインウェア超便利帳
中綴じ付録小冊子●MacPeople Basic「iPhoto」

もうすぐ、でなく、もう発売になりましたな、iPad。新聞とかの扱いも大きいし、ネットでも話題になっております。今回の特集は、ま、ファンならだいたい既知の情報ではありますが、それでも読んでると欲しくなるもんですな。MACユーザーとしては。Appleファンとしては。

それは、何に使うのか、って部分はさておいてのハナシね。リビングのソファでいろいろ(動画?Web?)やるとしてさ、それ、今Let’s note(いやホントはMacBookが欲しいんですけどね)でやってるわけでね、ソファにどてっと座って膝の上に置いてキーボード入力って、楽だからさ。わざわざ片手で保持してってスタイルにしようという気が起きないんだよね。半年くらい先行者の使い方を参考に観察させていただいて、んで、おもむろに買う、って感じになるのではないか、と自分で予想しております。

iPad。やっぱキラーコンテンツは電子書籍ってことになるのかねえ。これに関しては個人的に明確なことがひとつあって、日本語の本(普通の本)をiPadで読む気はあまりない。字だけにしろ、雑誌とかのヴィジュアル系にしろ。読みたいのは英語の本だ。Kindleがあるって?あれはワシの要求スペックを満たしていないのでNG。iPadで英語の本を読みたいのだ。わからない単語をタップすると訳がバルーンで出てくる辞書搭載でね。これが出来るならオレ、即買っちゃうと思う。

おっと、ハナシは戻って、 マックピープル5月号。「第1特集●実践的ストレージ活用FAQ」、と、「第3特集●キーボード入力再入門」、それから、「別冊付録小冊子●オンラインウェア超便利帳」は役に立つ特集でしたよ。例えば、”Q:iTunesライブラリの容量が大きくなりすぎた。外付けに移動できる?”とかって、知ってた?Optionキー押しながらiTunes立ち上げる、なんて?なんだよーこのやり方知ってりゃもっと楽に移せたんじゃん!この他にも、そういう、ちょっとした情報満載。

やっぱ4月だから、新規購入組を意識して、使いこなしのTips関係を充実したんですかねー。これはなかなか侮れない役に立つ内容だと思います。重ね重ねありがとう。

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2010年4月 3日 (土)

【書評】知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る 著者:日垣隆

知的ストレッチ入門読了○。副題は”すいすい読める書けるアイデアが出る”。最強のジャーナリストにして、(たぶん)最も環境変化に適応した文筆業者である、ガッキィこと日垣隆による、知的生産力を効率的に伸ばしてゆく方法、全公開。すぐに使える21世紀版「新・知的生産の技術」。

目次はこんな感じ。例によって”・・・”以下はワシの要約メモ。

序章 知的ストレッチとは
 基本3原則
 1.インプットは必ずアウトプットを前提にする
 2.うまくいった諸先輩の方法を取り入れる
 3.おのれを知る
第1章 読む-ストレッチ読書術・・・全集の効用、付箋、10箇所/冊、纏めて再読
第2章 構える-ストレッチ書斎術・・・引き出しのインデックス案、ロング書棚、コピー機
第3章 考える-ストレッチ検証術・・・レファ本、新書5、話、メモ、整理法、ヲタ誌、設問
第4章 創る-ストレッチ仕事術・・・依頼と納期、競争から抜け出す、過剰な負荷を
第5章 書く-ストレッチ文章術・・・ブログとジャーナリズム、サロン立ち聞き
第6章 疑う-ストレッチ回避術・・・ウソ、正確な把握、ギャップ、教養、予防原則の罠
第7章 出逢う-ストレッチ互助術・・・iPhone、Kindle、Twitter、フラット、読書会
第8章 変わる-ストレッチ改造術・・・期日、依頼させる、全体と個、主体的に変わる
第9章 決める-ストレッチ決断術・・・予め想定、即決、メール即日処理

すぐ使えそうなノウハウと視点が満載。って言ってもこのメモ書き読んだだけじゃ分かんないか。これ、ワシ自身が中身を思い出すときのフックのつもりでメモってるんで、断片的且つ非網羅的なメモだからね。

今回改めて思ったのは、ノウハウ本なんだけど、面白い、ってのがガッキィの持ち味だよなぁ、ってこと。一見いらんエピソード、本来分類に収まらないトピック、等々がいい感じに混ざってて、読んで面白いだけでなく、実用一本やりの本にありがちな偏狭な感じ、息苦しい感じがない。手段のための手段に堕さない。

それを支えている思想背景の基本中の基本が、序章の基本三原則の1、”インプットは必ずアウトプットを前提にする”なんだな。自らを省みて、ちょっと反省。オレその視点が思想が欠けていたんだ、今まで。

ええ本です。一読をお奨めします。

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2010年4月 2日 (金)

【書評】孫の力―誰もしたことのない観察の記録 著者:島泰三

孫の力―誰もしたことのない観察の記録読了○。著者はニホンザルとアイアイの研究で有名な霊長類学者。その手法で自分の孫を観察し、人間の”心”が生まれ、発達する様子を記録した。著者にとっては1970年に始まるニホンザル、1983年以来のアイアイに続く、ヒトの子供の観察である。

って書くと、なにやら冷静で精緻な観察記録、みたいなものを想像するかもしれませんが、これは半分冗談。そうではありません。どっちかっていうと、祖父の孫に対する愛情に満ちた日々の日記、って感じ。一種の孫オノロケ本というか。育児エッセイというか。

でもやっぱり普通の子育て記録とは違っていて、その観察の細かさ、意味づけの的確さは、さすが長年やってきたプロの目を感じさせるものです。”はじめての後悔”とか、”恐怖の克服”とかのエピソードが面白いなぁ。大人になると”後悔”も”恐怖”も既にそこに”あるもの”ですけど、改めてその発生 の模様の観察を読むと、それが”心”の発達によって”生まれてきた”ものであることがわかるよね。その感じが新鮮だ。加えて、随所に挟まれる霊長類学者としての薀蓄の部分(孫はヒトにとってだけ特別な意味を持つ子孫である、とか)、著者本人の幼時の記憶(祖父母との関わり、とか)等々がいい感じで”厚み”を醸していると思います。ええ本です。一読をお奨めします。

孫か。ウチの息子たちが結婚して子供が出来たら、オレも孫と出会うわけで・・・。うーむ。想像できない。想像できないなー。だいたいその前にあいつら結婚できるのか?いやそれ以前に”オツキアイ”したことあんのか?なあ?・・・つくづく、人生、心配の種は尽きない。

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2010年4月 1日 (木)

【書評】数えずの井戸 著者:京極夏彦

数えずの井戸読了◎。昔、惨事があり、関係者は死に絶え、今は荒れ果ててしまった番町青山家屋敷跡、通称皿屋敷に、夜な夜な亡魂(ゆうれい)出でて、数を数えるという・・・。一枚二枚三枚・・・・。何故現れるのか。何があったのか・・・。京極版、怪談番町皿屋敷。

ウチのヨメさんが京極好きなんですわ。オレはってーと、半分半分ってとこかな。榎木津と京極堂が出てくるシリーズはあまり好きじゃない。ちょっと鼻につく。百物語のシリーズは好き。この本には又市も徳次郎も出てくるけど、ちょっと他の作品と役回りが違うといえば違う。百物語のシリーズかと思ったら、実は、百物語のシリーズではなかった、ってゆーか。

ミステリ作家には2つの系統がありますね。パズラーとドラマー。謎解きがメインの作家かドラマがメインの作家か。理を書く人か情を書く人か。昔は”本格もの”と”社会派”という言い方をしましたが。この人(京極夏彦)は徹頭徹尾”理”の人で、その小説世界は当然”理”によって貫かれている。典型的なパズル作家であると、そう思っていました。

この「数えずの井戸」も、”理”で書かれている。それは間違いない。一枚二枚三枚・・・、”数える”というキーワードを元に、登場人物は極端なまでにキャラクター化されデフォルメされた人物像。しかし、 そのデフォルメされたキャラクターが、元の”番町皿屋敷”を遥かに離れて、如何にも今風のキャラクターであってみれば、手法としては”理”をもってパズルを書くという手法のままに、”情”を描くことになっている、ドラマを描くことになっている、今を描くことになっている、のだなあ、と。

紋切り型って、ふつう、駄目じゃん?パズラーはそこんトコで底が浅い感じがするので、あまり好きではないのですよ。森博嗣とか柳広司とかさ。どうしても作 品が軽くなる。ところが、この作品、徹底的に典型的なキャラクターを造型して、その内面を語らせるという、不思議な手法。外側から見るキャラクター像と内側から見るキャラクター像の違いというか。紋切りを突き詰めると、紋切りが 紋切りでなく なる瞬間がやってくる、というか。

京極版”藪の中”という側面もあって、夫々の立場の分だけ、物語がある。夫々のキャラクターの分だけ、物語がある。”事件”に至るまでの過程にね。

このデフォルメされた、キャラクター化された、登場人物の内面を、理によって外挿して描き切るってのは、そしてそれを全体から見たら色んな風に見える多面体に仕上げるってのは、なかなか大変なことですよ。

いま、ウチのヨメさんに廻っている。次は上の息子が読む。そうだ下の息子にも読ませよう。んでもって家庭内読書会でも開いてみるかな。

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