« 【書評】殴る女 著者:荻野アンナ | トップページ | 【書評】人間の建設 著者:小林秀雄、岡潔 »

2010年3月 7日 (日)

【書評】心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈下〉 著者:スティーブン・ピンカー

心の仕組み〈下〉読了◎。 副題は「人間関係にどう関わるか」。おなじみ、進化心理学者スティーブン・ピンカーによる、我々の持つ”心”という”器官”の仕組みについての出色の解説書にして仕様書にして取扱説明書、その下巻。(上巻の書評はこちら。中巻の書評はこちら。)

下巻の目次はこんな感じ。
第7章 家族の価値-人間関係の生得的動機
第8章 人生の意味-非適応的な副産物

上巻で、議論の枠組みを定め、”心の仕組み”について述べる。で、中巻から副題である”人間関係にどう関わるか”について本格的に論じ始めたわけですな。第5章の”推論”、第6章の”情動”と、”人間関係”についての基礎を固める。んで、下巻に入り、第7章が言わば具体論として”家族”、第8章が”人生”と。そうか。そこまで行くか。読んでて目眩がしました。巻を追うごとに、深い、面白い、のっぴきならない、領域を取り上げていく感じ。特に8章の終盤、哲学的な難問についての記述、はワシの中でまだ未消化だな。このブログを書きながら整理してきたいところ。

ってわけで、このブログの”続きを読む”のトコにせっせとメモをまとめながら、議論を整理し、じっくり考えた。5時間くらい掛かっちゃったよ。うん。言ってることはわかった。なるほどね。

心は進化的適応の結果として人間に備わった器官のシステムである。だから、人間が心で考える思考は、人間の認知的能力の働きについて閉じている。そして哲学的な5つの命題は、人間の脳に、その問題の本質を認知する認知装置が欠けているので、解けない。逆に言えば、これらの問題を解くことが出来ないという事実が、”心は進化的適応の結果として人間に備わった器官のシステムである”、ということを間接的に証明しているのかもしれない、と。

メモ書き、途中で息切れして7章の途中は手抜きしてしまいました。今度暇を見てやりますんで、カンベン。(って誰に言い訳してるんだか?)

上巻、中巻、下巻、どれも面白いのですが、やっぱり圧巻は下巻です。一読をお奨めします。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ →ポチっとクリックしていただけると大変ありがたいです。
にほんブログ村

以下メモ書き。
第7章 家族の価値-人間関係の生得的動機
60年代の夢想の終わり。進化論的に見れば、状況によっては競争をするように出来ているのは当然。競争に勝った結果、ここにいるのだから。対立は人間の条件の一部。これは愛着や絆という考えと矛盾しない。社会変革は役割の書き換えであるという考えとも矛盾しない。社会的動機は我々が参加するトーナメントのルールに合わせた戦略のはず。、

・親類縁者・・・血縁のメタファー。血縁者は他人よりも多くの遺伝子を共有している。”認知”と”情動”の二つの心理機構の集合の簡略表現としての「血縁者の利他行動」と「自分の遺伝子を利すること」。血縁関係を知りたいという欲求と知る能力。関係がわかったら、連帯・共感・寛容・信頼感。進化の過程で調整されてきた。
どの社会でも家族は重要。母親と実子が中心。人間は明白な進化論的理由から自分の子供に対してだけ犠牲を払いたい。子供は世話をしてくれる大人に対してそうした犠牲を要求するように出来ている。継親問題。

配偶者は仮想的な親族の最も卑近な例。夫婦の遺伝子は子供という容器に共に納められている。(「子は鎹」ですな。)夫婦は夫々の親族と同じ遺伝子を持つので、親族は二人の結婚に関心を持つ。例えば共通の孫を通して利害が一致する。親族になると同盟は強化される。政略結婚。架空の親族(おじさん、おばさん、と呼ぶことなど)。
全体主義と家族は相容れない。公正・自由・平等を同時には実現できない。血縁の存在は右でも左でもなく、一種の破壊活動組織であるという、(面白い)結論。家族の感情を政治的な利益のために利用しようとする権力者。

・親と子・・・親子対立の理論。子供は夫々の親の50%の遺伝子を共有。第1子と第2子の間でも50%の遺伝子を共有。第1子自身は第1子自身と100%共有。それ故、第1子から見ると、第2子が受ける利益が第1子に掛かるコストの2倍を超えるまで第1子に投資し続けるべき、となる。つまり親と子供の遺伝子の利害は異なる。この緊張関係が親子の対立。これから生まれる子供を含めて考える。親が与えたいと思う以上のものを子供は欲しがる。
出産後の抑鬱の正体。なぜそのようなホルモンの変調が?確実な悲劇か、後のより大きな悲劇の可能性かという選択。子供は生き残りを掛けて唯一の武器かわいらしさで勝負。その後も心理戦が。逆説的な戦術を含む。
親子対立の理論が有効ならエディプス・コンプレックスは否定される。また、親が子供を社会化する、親が子供の人格形成をする、という説も否定される。
パーソナリティを表す主要な5つの指標。内向性か外交性か。神経症傾向か安定か。調和性と敵対性。生真面目さと無頓着さ。開放性と非開放性。50%は遺伝が原因。どの家で育ったかは5%。45%は良く分かっていない。成長する脳に影響を与える一回性の出来事による。そして、パーソナリティを、親と子の利益の相違に根ざす適応と看做す考え方がある。兄弟と競うための戦術。若しくは、仲間集団の中で競うための戦術。
児童福祉改革の行きすぎ。母親の利益と子供の利益の相反としての。親子対立の理論の影響は広範である。子育ては技術的な問題というより、限られた資源の配分の問題(倫理と政治の問題)なのだ。

・兄弟と姉妹・・・”ソフィーの選択”の基準は何か?一般的には年齢。もう後にとっておくことのない末っ子は可愛がられる。有利な投資になりそうな子供は可愛がられる。パーソナリティは親の投資を兄弟と争うための戦略。第1子と第2子のパーソナリティの差について。子供が人生で最初に直面する問題、どのようにして立場を守るか。
異性のきょうだいの場合。インセスト・タブーに関する考察。きょうだいとのセックスに関する嫌悪感は他の動物でも見られる。適応形態と思われる。血縁に対して愛情や絆を感じるが性的な欲求には転化しない。その他のケースでは利害関係は当事者により異なる。

・男と女・・・なぜ有性生殖を?寄生者や病原体に対する防御。卵と精子のサイズ差は?生殖細胞の特殊化。ミトコンドリア遺伝子。雄性と雌性の発達。オスとメスでは投資が異なる。その結果は2つ。その1、オスの繁殖成功度のばらつき。その2、メスがオスを選ぶ。
男はより多くのパートナーを求める。男性はその気になりやすい。男の性的欲求は際限がない。女性の求める支払いは”長期に亘る責任”。

・夫と妻・・・権力者の一夫多妻が80%の文化でみられた。一妻多夫は稀。男が大きく強いのは競い合う淘汰圧があったから。単婚制度は男同士の合意。競争に掛かるコストを最小限にするため。原因は男の方が複数の相手を求める欲求が大きいから。
子に投資するタイプのオスの最適な遺伝子戦略とは、相手になってくれるメスならばどんなメスとも交尾せよ、ただし自分の伴侶は他のオスと交尾しないようにせよ。
女性は夫に扶養と保護を求める。だから富や地位、将来そうなる可能性(野心や勤勉さ)、誠実さの徴、が大事。
男性は妻に、(自分が父親であることを保証する)身持ちのよさ、長期間に亘りたくさん子供を生めること、を求める。
親友と結婚相手。親友とは子供を作らないが、結婚相手とは子供を作る。審美眼は一種の遺伝子センサーか?
男の嫉妬と女の嫉妬。受精は女性の体の中で起きるため、目で見ることはできない。これが基本。所有権のメタファー。
進化心理学とフェミニズム。まちがった生物学(自然は素晴らしい)、まちがった心理学(心は社会によって形成される)、まちがった倫理学(人間が好むものは善である)に立っているように見える。
・ライバル・・・
・友人と知人・・・
・味方と敵・・・
・人間性・・・

第8章 人生の意味-日適応的な副産物
美術・文学・音楽・機知・宗教・哲学、冗談をいい、笑い、歌い、踊る。パンともノウハウとも安全とも生殖とも直性関係ないのに?生物学的に見て無益でくだらないと見えるのに?
芸術は美学とステイタスの心理両方に関わる。生物学的に無益であるがゆえに経済的社会心理学的に価値がある。それとは別に、心の何が、人に形や色や音やジョークや物語や神話を楽しませるのか、と問う(美学的側面)。

芸術の心理は生物学的な意味において適応的でない。心は自然淘汰によって適応したニューラルコンピュータであって、植物や動物やモノや人間について、因果的・確率的推測をする組み合わせアルゴリズムを備えている。それは先祖が暮らした環境で、生物学的適応度の向上に役立った目標(食べ物、性、安全性、親という立場、友情、ステイタス、知識)によって駆動される。しかしその道具箱は適応上の価値の怪しい余技的な活動に使うことも出来る。心のある部分で、適応度の増大-”快”を銘記。別の部分で因果関係の知識を使って目標の達成を図る。この二つが一緒になって、生物学的に無意味な挑戦をする。適応度の増大なしに、脳の快楽の回路を動かして”快”を得ようと。極端な例が麻薬。マイルドな例が感覚。過去の世代で適応度の向上につながった環境にあるとき、快楽中枢を刺激する。チーズケーキの例。ポルノグラフィの例。そして芸術の例。
それから、もうひとつの”魅力的ではあるが生物学的な意味を持たない活動を始める道”がある。心の推論モジュールの誤った使用。宗教と哲学は部分的に心の道具を、それを解くためにデザインされていない問題に適用したものである。

我々が最も根源的と看做している活動の一部が非適応的な副産物であるという結論。芸術にはある種の「機能」はあるが、進化的な適応に関するものではない。

・芸術とエンタテインメント・・・ビジュアルアートの例。抽象芸術の例。視覚処理に最適である素材が何故目に心地よいのか。はっきり見える快感のボタンを押す。
音楽の例。抽象的な普遍音楽文法。楽音(ピッチ)と3つのルール。グルーピング構造。韻律の構造。簡約構造(タイムスパン簡約と延長的簡約)。音程のパターンと情動のパターンにはつながりがあるという主張。それを基本デザインとして。音楽は6つの精神機能の敏感な部分を快く刺激するように精巧に作られた聴覚のチーズケーキ。1.言語、2.聴覚の情景分析、3.情動の声(コール)、4.生息地選択、5.運動制御、6.なにかほかのもの。
物語の例。フィクションに我を忘れる快感、これはどこから来るのか?喜び(快感のボタンを押すというテクノロジー)と教訓(おそらくは認知的適応の産物)とは区別するべき。錯覚が働くと「何故人はフィクションを楽しむか」という問いは謎ではなくなる。

全てがハッピーエンドでないわけ。芸術映画の例(ステイタス)。お涙頂戴もののわけ。ゴシップのわけ(知識は力)。文学は快感だけでなく教訓も与える。小説は実験と似た働きをする。彼らが目標(生存と生殖)を達成するための戦略とその結果を心にとめる。
芸術の充満性。全ての特徴が一つのテーマに向かっている。媒体のあらゆる面をうまく使う。観客は謎を解く過程で通常は目立たない媒体の部分に注意を払い、それは報われる。

・何がそんなにおかしいのか?・・・ユーモアの問題。笑いが音声を伴うのは他者に聞こえるようにするため。笑いが不随意であるのは他の情動が不随意であるのと同じ理由。
ユーモアの3つの要素。ユーモアはある準拠枠の思考の流れが異常にぶつかったときに始まる。その異常はその出来事が意味をなす別の準拠枠に移行することによって解決される。そしてその枠内でだれかの品位が傷つけられる。不適切さ、解消、品位。
これに付け加える3つのこと。第一にユーモアによって破られる風船について。第二に優位性は1対1では有効だが団結した暴徒の前では無力である。第三に妥当性の原理。

・思いもよらないことを追求する探究心・・・宗教とは何か。もうひとつの法律や慣習を持つ文化。他の慣習と同様、宣伝する人の利益を守るのに役立つ。
全ての文化にあてはまる宗教的実践の共通項-宗教は成功のためのテクニックである。奇跡を求める需要は聖職者が競合する市場を生み出し、彼らはそこで専門家に対する人々の依存を利用して成功出来る。
解決できない問題。感覚或いは主観的経験としての”意識”(情報の入り口或いは内省としての意識ではなく)。もうひとつは、”自己”。それから”自由意志”。そして4つめは”意味”。最後は”道徳性”。
哲学的な問いに対して、殆どの時代と場所で、回答として神秘主義と宗教が好まれている。宗教的な回答の問題点。

現代の哲学者の三つの回答。
神秘的な存在は宇宙のそれ以上は還元出来ない部分であるからそのままにしておくしかない。還元不可能性説。時間と空間、重力、電磁気力、核力、それから、物質、エネルギー、そして意識、ってこと。しかし。意識とは脳というハードウエアの動作の結果ではなかったかという疑問。
二つ目は問題の存在を否定するという見解。数学的証明や実験的検証では証明することが出来ない命題であるとする。しかし。疑問は残るのだ。
三つ目は問題を崩して手なずけるやりかた。ex意識は大脳皮質のレイヤー4の活動、即ち短期記憶の内容である。しかし。どうしてレイヤー4の活動が私の中に鋭く鮮明な「赤さ」という感覚を生み出すのか。等々。

別のアプローチ。哲学的な問題が難しいのは、それらが神聖だからではなく、還元不可能だからでもなく、意味がないからでもなく、無味乾燥な科学だからでもなく、ホモサピエンスの脳にそれらを解決する認知装置が欠けているからではないか。
我々の心は器官であって、真理につながるパイプラインではない。
この仮説は証明不能だ。注意しなければならないのは無限後退や自己言及のパラドクスのことを言っているのではない、ということ。また、意識の演算的側面、神経科学的な側面、進化的側面が今後発展することを妨げるものでもない。

整数は加法について閉じている(整数と整数を加えると必ず整数になる。分数にはならない)。同じように人間が考えられる思考は認知的能力の働きについて閉じている。
認知が閉じているというのは悲観的な結論ではない。自分の思考や感情を、物事がありうる唯一のあり方としてではなく、自然界の素晴らしい仕掛けとして見る。
逆説的に言えば、心が進化的淘汰の産物の器官であるとしたら、認知の閉包は真実でなくてはならない。(これは面白い。そしてこの部分は期せずして自己言及的だよ。)

何故ある種の問題は我々の理解の外にあるのか、垣間見ることが出来る。心はその力を統語や合成や組み合わせの能力に負う。世界の部分が、より単純な要素同士の法則のある相互作用として機能するのは、我々にとって幸いである。しかしこの哲学の問題には独特の全体的なところがある。これらの問題の本質と自然淘汰が我々に備え付けた計算装置とのミスマッチ。

以上の推論から導かれるのは、自分の意識(アウェアネス)が永遠に概念的把握の及ばないものである、ということ。それは残念か?

自然界はその特殊化されたデザインで我々に畏敬の念を起こさせる。あるデザインが一つの課題に対して優れるためには、他で妥協しなければならない。鷲のぎこちない歩きのように。

|

« 【書評】殴る女 著者:荻野アンナ | トップページ | 【書評】人間の建設 著者:小林秀雄、岡潔 »

140 新書」カテゴリの記事

160 学術書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【書評】心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈下〉 著者:スティーブン・ピンカー:

« 【書評】殴る女 著者:荻野アンナ | トップページ | 【書評】人間の建設 著者:小林秀雄、岡潔 »