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2009年11月23日 (月)

【書評】あったまる禅語 著者:渡会正純=文、石飛博光=書

あったまる禅語読了○。著者は大本山総持寺祖院副寺。って言われてもなんのことだか。ま、曹洞系の禅宗のお坊さんですね。禅の教えを簡潔に凝縮した「禅語」をひとつのエッセイでひとつ取り上げ、現代を生きる私たちに何を指し示してくれているかを、日常生活の具体的なエピソードを交えて述べる、とは著者の弁。

取り上げられている言葉は41個。1エッセイがそれぞれ見開き2頁から2頁半という構成になっています。”愛語”から始まって”学道はすべからく吾我をはなるべし”まで、こんなかんじ↓です。

第1章 もっと心地よい人間関係を:愛語、無私、以心伝心、一箇半箇、南山に鼓を打てば北山に舞う、清風、規矩行い尽くすべからず、福受け尽くすべからず、好語説き尽くすべからず、潜行密用は愚のごとく魯のごとし、和、喜心、老心、大心、利行は一法なり、子生まれて母危うし。

第2章 心静かに、もっと自由に:放てば手にみてり、禅、静、八風吹けども動ぜず、天真に任す、無、風疎竹に来る風過ぎて竹に声を留めず、古人曰く聞くべし見るべし、聞くままにまた心なき身にしあればおのれなりけり軒の玉水、空手、徳。

第3章 勇気と元気がわいてくる:仏々祖々皆本は凡夫なり、悉有仏性、露堂々、本来の面目、不退転、常に独り行く、学道の人は人情をすつべきなり、水至れば渠成る、人間至る所青山有り。

第4章 毎日心がけると、いいことが:塼を磨いて鏡となす、行住坐臥、作法即仏法、形直ければ影端し、而今、山花開いて錦に似たり澗水湛えて藍の如し、学道の人衣食を貪ることなかれ、学人は必ずしも死ぬべきことを思うべし、人は必ず陰徳を修すべし、仏法のためには身命を惜しむことなかれ、年年歳歳花相似たり年年歳歳人同じからず、喫茶喫飯時に随って過ぐ、菜根滋味多し、玄関、徳を積み祥を致す、精進、心恒に清し、古を稽えて今に照らす、一色の弁道、学道はすべからく吾我をはなるべし。

え?これ禅語なの?ってのも入ってる気がしますが、それはオレがものを知らないだけかもしんないんで、深くはつっこまない。だめだ。右から左へ抜けていってしまう。まあこれ読んだだけで悟れるわきゃないんで、ちょっとした薀蓄ネタくらいに考えて読むってんでいいんじゃないすか?

何で禅?実をゆーと、ワシ、大学の頃、座禅部に所属していたんですよ。宗教色なし、純粋にメディテーションとして禅をトレーニングする、っていう変わったクラブだったんですが。根が真面目なもんで、毎週ちゃんと座禅やってました。思い返せば悟りたい一心だったんだよなー。んで、なんで悟りたかったかと言うと、楽になりたかったんだよね。この肥大した自意識の堂々巡りから抜けたかった、と。悟って楽になるっていう発想が既にちょっとズレてるんだけど、当時は大真面目だったもんね。いやお恥ずかしい。

ってことで、今でも禅関係の本はなんとなく手にとってしまう。あ。ブログタイトルもあれだ、その残滓か。自分じゃ気づかなかったな。だいたいなんでこれ、アスコム(アスキーコミュニケーションズ)から出てんの?禅とコンピュータ。いやそれ、ワシ好きだけどさ。もちっと哲学寄りに料理して欲しいトコです。ってのも不純だ。すんません。

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