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2009年10月18日 (日)

【書評】思考する言語(下) 著者:スティーブン・ピンカー

思考する言語(下)読了◎。上巻中巻、下巻、の下巻。第7章はタブー語について。第8章がポライトネスについて。第9章は上中下巻全編のまとめ、総括になっています。

第7章 タブー語はなぜ存在するのか-人間感情の考察から

第8章 「ほのめかし」による駆け引き-言葉と人間感情

第9章 「洞窟」から抜け出せ-言葉の無限の可能性

個人的には第7章にはそれほど興味が持てなかった。面白くはあるのだが、実生活での関わりが希薄でリアルじゃないってゆーか。いや別にカマトトぶってるわけではありませんがね。

それに対して第8章は個人的に超スマッシュヒット。面白い面白い。目からウロコがぽろぽろ落ちる。うん。

繰り返しになりますが、ワタシは自分をアスペルガー的キャラクターであると自覚しています。アスペル君。そんなワタシの目には、サラリーマン社会は無駄で非効率でくだらないものにしか見えなかったわけですよ。その回りくどさ、分かりにくさ。曖昧で微妙なコミュニケーションのありかたがね。

第8章では人はなぜ間接表現を使うかという問いに、徹底的に答えていく。これ以上ない、ってくらいに。これを読めば、この私にも、分かる、ってくらいに。

考えてみたら、誰も、そういう(ほのめかしとか間接話法とか)コミュニケーションの方法の、効用を正面切って教えてくれたことはなかったぞ。それは多分、普通の人には言語化しづらい領域で、且つ、なんとなく直観的に分かる、って類のことなんだからだろな。ワタシにしてみれば、なんとなくそういうもんだ、と思うから調子を合わせているつもりなんだけど、本質的には分かっていなくて、根っこでそういうのを莫迦にしているもんだから、身につかない。或いは、「調子をあわせている」「莫迦にしている」というメッセージに変質してしまう。つまりは真剣さが足りない、と。

んーでも分かった。この本読んで分かった。なるほど。ポライトネスは大事です。フェイス(体面)を保つのは大事です。うんうん。ここまで掘り下げて説明してくれる人は普通、いないわな。英語学習というきっかけから読み始めて、思わぬところで思わぬ拾い物をしたのかもしれない。うんうん。世のアスペル君、第8章だけでもお奨めです。駆け引きやほのめかしが出来るようになる、かもしれない。

いいなあ。なんかわくわくするな。何が面白いって、例えば”相互知識としてのフェイス”って目でみると、非合理的な慣習としか見えなかった会社のやりとりが意味のあることに見えてくるんですよ。んで、そんならこうしよう(会議の席で指摘するんでなく、事前にさりげなく伝えよう、とか)って風にいろいろ思いつく。人間関係の作り方の幅が広がるというか。多分普通の人には「いまさら何を分かりきったことを」ってことでもね、オレにとってはその理論的背景が信頼の置けるものである、自分が納得している、ということが大事なんだよなあ。

えーっと。話がズレてますな。この記事の中に、「思考する言語(下)」の書評、と、アスペル君としての個人的な反応が混在してしまってる。ちょっと軌道修正。第9章が上中下巻全体のまとめになってますから、ここで仕切りなおして、全体を通しての書評で締めたいと思います。

第9章 「洞窟」から抜け出せ-言語の無限の可能性

単語や構文の意味、使われ方を通して、人間性の本性にせまることが出来る。ピンカーがこの本でやって見せたのはこれ。では言語を通して見た人間性の本性とは・・・。

ってことで、別ページに箇条書きにしてみました。ページ半ばの★第9章 「洞窟」から抜け出せ-言語の無限の可能性、以降で網羅的に箇条書きしてます。っつってもこの本自体を読んでないと断片的過ぎて意味わかんないだろうなあ。うーん。ま、ちょっとでも面白そうだ、と思った人は、本書を読んでみて下さい。期待は裏切られないと思いますよ。全ての英語学習者に。全ての言語オタクに。全ての哲学オタクに。全てのアスペル君に。お奨めです。

結びのことばがかっこいい。”言語という視点は、私たちが住んでいる洞窟がどんなものか見せてくれるだけでなく、どうすればそこから抜け出せるかも明らかにしてくれる。メタ ファーと組み合わせる力を使うことによって、私たちは新しいアイデアや考えを抱き、私たちを取り巻く問題に対処する新しい方法を見出そうとする。それを行 う間も、私たちの心にはアゴニストとアンタゴニストや、点と線と厚板や、活動と達成や、神々とセックスと排泄物や、共感と敬意と公正さが浮かんでは消え、 消えては浮かんでいる。そしてそれこそが、私たちの思考を作り上げている素材(the stuff of thought)なのである。”byピンカー。

そういえば、上巻の書評で取り上げた「動詞を構成しているもとになっている生得的な認知の傾向」は、本書の中ではごく一部のテーマだった、ってことですな。この傾向を元にした動詞の性格分類、仕方ないのでこれはこれで別で追いかけることにしよう・・・。

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覚え書き。
間接的な話し方をする理由。
1.間接的な話し方は純粋な合理性に基づくという見方。
2.対立する者同士の場合、もっともらしい否認に関する考察。司法の場と日常生活と。
そのための理論的な準備。
1)社会的生活を構成する明確な関係についての理論
2)人間の憶測の仕組みに関する考察
3)合理的無知というパラドクス

さて、1.の立場で。間接的な話し方の再定義。byグライス。
会話の4つの格率。量の格率、質の格率、様態の格率、関連性の格率。
協調の原理。あえて格率に逆らうというレトリック。会話の推意(implicature)。
で、それはなぜ?
推意の二つの意味。文の意味と話者の意味。社会的相互作用を円滑に行うためにポライトネスを用いている。byブラウンとレヴィンソン。協調の原理はフェイスの維持にも当てはまる。

共感の演出。敬意の表明。つまり仲間意識と力関係という二つの社会的側面。

もし聞き手に応じる気がなければ、断るという行為によって話し手のフェイスを脅かすことなしに応じない権利を行使することが出来る。命令に応じたとしても命令に従ったことにはならないので、双方のフェイスが保たれる。byブラウン。

ポライトネス理論の限界。間接的発話行為が聞き手にそれほど配慮しているとは言えない例。非公式ゆえのジレンマ。

次に2.の立場で。
ゲーム理論の応用。利得マトリクスの作成。政治戦略としての曖昧な表現の効用。合意に達することに意味がある場合がある。

フィスクの3類型で社会的人間関係、思考・感情、社会的習慣を説明する。共同性、権威、交換。
共同的分かち合い。親族メタファー。食事をするという結束の儀式。同じ行為。神話・イデオロギー。
権威的序列化。支配の序列。フェイスは社会的通貨である。だから公衆の面前での敗北や不名誉によるフェイスの喪失は大きな苦痛が伴う。自分のフェイスを保ち、相手のフェイスに敬意を表すために会話の推意が用いられる。逆に、異議申し立てに用いられる例、ユーモア。自嘲。「二人の男が三十分も一緒に居ればどちらかが必ず明らかな優位に立つ」byサミュエル・ジョンソン。自嘲によって支配でなく共同性であるというメッセージを。
応報的等価交換。互恵的利他主義。

関係のミスマッチが生む気まずさ。状況と関係の不適合は気まずさを招く。非公式の間接表現をこれで説明する。

提案や誘いが公式か非公式かで何が違う?もっともらしい否認にこだわるのはなぜか?
感情を文で表現することにはリスクが伴う。一度口にしたら取り消せないものがある。それを念頭に、間接表現を用いる6つの理由。1.見せ掛けの低姿勢、2.言葉より態度で示せ、3.仮想の観客、4.幻想を維持する、5.焦点としての確実性、6.相互知識。

言語には個人の知識を相互知識に変える力がある。「王様は裸だ!」。バーベキューソース問題。相互知識としてのフェイス。”あなたが自分に有利なように交渉を強気で進められるとすれば、それはあなたが自分の立場を押し通せるだけの力を持ち、人にも一目置かれていることをあなたが知っていることを、他の人が知っていることを、あなたが知っていることを、他の人が知っているとあなたが知っているからに他ならない。公の場での侮辱的な言葉や態度がダメージをもたらすのは、この相互知識のサイクルが阻害されてしまうからである。”

気配り(tact)は個人についてのデリケートな情報が相互知識になるのを防ぐスキル。

合理的無知のパラドクス。人は何かを知ることで動揺し、感情に制御不能な影響が及ぶ恐れがあるとき、あえて知ろうとしないことがある。例。ネタバレ、DNA診断、二重盲検法。そして、「博士の異常な愛情」byキューブリック。知識には危険が伴う。言語の持つ表現力によって、知りたくないことまで知ってしまう。のぞき窓と孔。

★第9章 「洞窟」から抜け出せ-言語の無限の可能性 (全体を通してのまとめ)

人間はアナログ的なナマの世界の経験をパッケージ化し概略的に認識する。
人間は認識できる概念のストックを使って現実世界の特徴を記述する。
基本的な構成単位。事象・物体・特質・場所・目標。行動・移動・変化・存在・所有。
ある事象がある事象に影響を与えると看做されることがある。引き起こしたり可能にしたり阻止したりすることで。
ある行動を始めるには目標を意図することが必要。目標は移動の到達点や変化の結果として生じる状態が選ばれる。
物体は、有生か無生物か、固体か集合体か、それと三次元空間での配置で区別される。
事象は、一続きの時間を占めるものとして、また他の事象との関連で順序付けられるものとして、捉えられる。
固体を特性によって識別しカテゴリーに分類している。そしてズームインとズームアウト。
数の概念はもともとは一と二と大きな量の概算推定の3種類である。概算推定の能力は時間上の位置、空間上の位置へ応用される。
ある物について考える場合、内部にパーツのない点として全体的に捉える傾向がある。
一方で物体をパーツに分け夫々のパーツがどのような関係にあるか理解できる。
物体が人体である場合。人は身体部分そのものであり且つ身体を所有すると看做す。
人が所有するものには考えや運も含まれる。
物理的世界の把握の方法。連続した空間という媒体、又は基準物体と座標系による。
空間的思考の際には、物体は単純化され1,2,3何れかの次元の広がりを持つ。
時間と因果の捉え方。時間は空間の次元、出来事は沿って並べられた物質のように。
時間は道路、又はパレード(方向が逆)のように捉えられる。
時間は心理的現在(3秒)、無限に続く過去(近い/遠い)、無限の未来(近い/遠い)。
過去には現実が、非過去には仮定が、未来には意思が、融合している。
出来事は物体のように扱われる。途中で切る/延長する、明確な境界/ぼやけた境界、ひとつの出来事/反復する出来事の集合。ズームイン/ズームアウト。
因果は”アゴニスト”と”アンタゴニスト”と”力”の3つの要素の動画を元に判断される。
意図的か偶然か、直接か間接か、手段か目的かを区別し道徳的な意味を持たせる。
人間は他人への影響のネットワークに適合したいと願い、一方では目立ちたいと願う。
人間は生活の中で浮き沈みや挫折や失敗に感情的に反応し、他人に知らせようとする。
人間は他者との関係に敏感である。フェイスを保つ。社会的地位。仲間意識。共感。
一方で権力を行使し影響力を及ぼす権利があることを示そうとする。
また一方でギブ・アンド・テイクの関係に基づき、交換や分配を行う。
人間は他者との関係に道徳的な色付けをする。人間関係の論理違反は恥ずかしい。
人間関係は”相互知識”によって承認される。それゆえ関係の論理に背く行為を第三者に知られることには敏感。関係の論理に反しつつ相互知識を守るための知恵、間接表現。

プラトンの洞窟の比喩。これら本性の故に誤った推論を行ったり制度上の失敗を招いたりする弱さを永久に背負っている。
理性の限界。事象を異なるフレームで捉えるが故に、解釈が反転する可能性があること。生得的な概念が新たな概念世界に対応しきれないこと。
感情的限界。関係の直観(共同性、支配、互恵)が現代社会の公的領域に合わないこと。
言葉に吹き込まれた感情がタブーを生むことで現実から目をそらしてしまうこと。

人間は限定された世界認識に縛られる。その意味で言葉は束縛の一種。しかしまた言葉は洞窟を抜け出す道筋を示してくれる。
第一の鍵、概念メタファー。
空間・時間・因果・物質という元々の概念を実体の希薄な対象に当てはめることが出来る。こうした抽象化を組み合わせることで、変化するものを価値と原因と結果を持つものとして表現できるようになる。
また、より明確なメタファーを駆使して複雑な考えの集合を表現できる。
メタファーは物事の因果関係における奥深い類似性を捉える。
第二の鍵、言葉を組み合わせる力。
句や文の意味を個々の単語の意味と配列の仕方から推論する。言語の持つ無限の組み合わせ能力によって、有限の概念や関係のストックを元に多様な考え方を抱ける。

メタファーと組み合わせによって、思考の言語が始動する。良い考えも良くない考えも。
ひとつのメタファーに縛られることなく他のメタファーに切り替えることが可能である。
切り替えは直観によってなされる。客観的な評価。概念が実体を指すか?信念が真実か?アナロジーが因果構造に忠実か?
知識を客観的に評価するために、関係性のルールを意識的に切り替える必要がある。

これらを使って、人は洞窟の出口に向かって手探りで進むことが出来る。
その例。数の概念。統計学、進化論。利子の理解。
科学や工学でのアナロジー。合理的な組織統治の可能性。
教育の目的は物理的及び社会的世界に対する人間の直観的思考の欠点を補うこと。
人間に標準装備された心的モデルを、厳選されたアナロジーに当てはめ、洗練された形で組み合わせることによって、拡張していく。

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コメント

こんにちわ、toppoさん、dekoです。

ピンカーの下巻の書評も読ませていただきました。間接表現のところも、おもしろいですよね。

私の周囲のアルペルガーっぽい人たちを見ていても、世渡りの上では、相手のせりふの含意を読み損ねることで苦労している様子がありありなので、「私はこういうつもりでいってるの!」と間接表現の理論についてかみくだいて説明する事はよくあります。toppoさんのように、それを自分でうまく使いこなす工夫をしていかれると、よいですよね。

ちなみに私が見るところ、彼らの周囲にいる人間は、彼らの非間接的なストレートな表現に直面すると、そこから間接的な表現内容を勝手に読み込んで、いろいろ要求する自己中なやつだとか、相手を尊重していないとか、バカにしてるとか、彼らが思っていもいないことを勝手に読みとって、そこから話しをこじれさせていくみたいです。だから間接表現の理論は、アスペルガーの周囲にいる人たちもきちんと理解して、自分がそのようなシステムを無自覚に発動していることを自覚したり、間接表現を日常的に用いない人がいることを理解しなくちゃいけないのでしょうね。
(といいながら、アスペルガー傾向の強い家族に、わかっていても、しょっちゅうブチ切れているので、偉そうなことは言えませんが。)

また、おもしろい書評を期待しています。

投稿: deko | 2009年11月 2日 (月) 14時41分

dekoさんお久しぶりです。コメントありがとうございます。このブログ、訪問者数は順調に伸びてるんですけど、コメントがあんまりつかない傾向があるんですよ。まあなんつーか一種自己完結した書き方になりがちなのは自覚はしておりますが。だからコメントを貰うととてもうれしい。ちゃんと読んでくれている人がいるんだなあ、って感じでしみじみします。

そーかdekoさん自身はアスペル君ではなくって、娘さんと奥さんがそうなんでしたっけ?それはなかなか香ばしい家庭環境ですねー。暖かく見守ってあげてくださいね。

コメント貰ったときの作法、「コメントにコメントする」、ってんで合ってます?前回は「コメントしてくれた人のブログにコメントする」、ってやったんですが、dekoさんのブログのコメントの仕方を見ると、「コメントにコメントする」が正しいのかなあ、と。合ってますかね?

ついでにこの場合、トラックバックURL(dekoさんのコメントのトラックバックURL、http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/224195/46494637)はどう使うもんなんでしょうか?

トラックバックする、ってことは「引用してますよ」ってサインだと思ってたのですが(論文の参考文献のイメージ)、必ずしもそうではないような。

dekoさんに、コメントにコメントがつきましたよ、ってお知らせするのに使えると思うんですが、間違ってます?良く分かってないんですよ、実は。

ええっと。あー面倒なこと聞いてきやがって、これだからアスペル君は。ってコトをやってる気もしないでもないんで、このコメントの非常識さ加減のフィードバックも貰えたらとても嬉しいのですが。ではでは。

投稿: toppo | 2009年11月 3日 (火) 05時28分

トラックバックに関して、ひとつ勘違いがありました。トラックバックURLとして表示されている、http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/224195/46494637は、dekoさんのコメントのトラックバックURLではなくて、元の記事のトラックバックURLみたいです。

つーことはやっぱり論文の引用のイメージでいいんですよね?

ではでは。

投稿: toppo | 2009年11月 3日 (火) 05時39分

こんにちは dekoです。
ちなみに、アスペルガー傾向なのは、うちのオットです。見守ってると、なかなかおもしろい人ですよ。以前は、遠回しにいろいろ頼んできて、いろいろ世話がかかる人間だと思っていましたが、最近は、直接表現で頼んできた事以外は、あれこれ気を回してやってあげるのを止めたことで、私の心も平和です。向こうはどう思っているか分かりませんが。
なお、トラックバックについては、私もよく分からないので、使ったことないです。
私の周囲では、ご覧になったとおり、ブログのコメントには、コメントをつけて返事をしていますが、この辺はいろいろな流儀があるのでしょうね。
今後ともよろしく。

投稿: deko | 2009年11月 3日 (火) 18時46分

toppoです。
オット、ですか!dekoさんの染色体の組み合わせを根本的に勘違いしていたようですね。大変失礼致しました。それはもう暖かい上にも暖かく、見守ってあげてくださいねー。
ではでは。

投稿: toppo | 2009年11月 3日 (火) 19時34分

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