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2009年10月30日 (金)

ウメクサでございます

ええっと。タイトルどおり、ウメクサでございます。ってか、カレンダー見るとね、もう一週間書けてない。この一週間、読んではいるんだがどの本も終わりまで到達しないんだよなー。これはいかん、何か書かねば、って、ただそれだけなんですけどね。

書評ブログにしよう、って思ってからブログの更新は楽になった。ある意味、記事のフォーマットが出来てるわけですから。あらすじを紹介する、感想を書く、自身の体験を少し、みたいな。今読み返すと、最初の頃はそれぞれ一行、全部あわせても三行、ってゆーよーな、ごくごく簡単な書評だったんですね。でも書いてるうちにどんどん長くなっていく。まあこれはそういうもんだ、と思います。慣れると書くのが苦にならなくなる。加えて、書評ブログサイトに登録とかすると、あまりに短いのはカウントしてくれないので、ある程度以上の記事を書くようになると。

しかし欠点もあって、ひとつは書評以外の記事を書くことをしなくなってしまう、ってこと。もうひとつは、同じことなんですが、本を読まないと記事が書けない、ってこと。書評が楽なのと、ランキングをあげるのが面白いので、他の記事を書くという発想がなくなってしまってました。

書評、する。ってことにしよう。考えて書くためのネタとして”本”はいいツールなんだけど、本末転倒になってはいかんよな。ネタはいろいろあるはずだ。考えて書くための。うん。

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2009年10月22日 (木)

【書評】鐵のある風景 著者:森雅裕

鐵のある風景読了○。副題は「日本刀をいつくしむ男たち」。自身も日本刀マニアであり、刀工を主人公とする小説を始めとして、作品中に日本刀がしばしば登場することで有名な森雅裕による、日本刀へのオマージュ。現代刀工の紹介、日本刀の産地の取材日記、美術骨董についてのエッセイ、等々を収める。

森雅裕さんは今も書いているのだろうか。ミステリ、或いは小説を。日本のミステリ系の作品とあまり縁のない私にしては珍しく、なんとなく、ファンなんです。結果的にほぼ全ての作品 は読んでる、って思ってましたが、これは取りこぼしてました。

前半の刀工の紹介の文章では、著者である森雅裕さんは紹介者に徹して、余計なことは書いていない感じ。ある意味、個性を殺して淡々と紹介していく。んだが、選ばれている方たち、エピソードはいずれ劣らぬ偏屈モノ揃い、自身も前書きで書いていらっしゃいますが、”誰を書くか”ってトコに既に強烈に個性が出ている、わけですな。

いやそれにしても面白い世界ですねえ。芸術なのか工芸なのか、”オリジナル”の意味とは何か、色々考えさせられます。

後半は取材旅行記と雑誌に掲載したエッセイですが、こちらは逆に歯に衣着せぬものいいで、森さんのキャラが前面に出ています。こういってはなんですが、相変わらずの偏屈ぶりご立腹ぶ りで、思わず笑ってしまいます。こりゃ生きて行くのは大変だ。折り合いをつけてやっていくのは難しいことだ。ねえ。出版社とケンカして筆を折った、って話をどっかで読んだような気が・・・。その”負けない”、”妥協しない”ってトコは尊敬しますけど、でも新作が読めないのは困るんだよな。うーむ。

そうだ、今度の週末、刀剣博物館に行ってみようかな。むかし、森さんの本で読んで以来、日本刀に興味はあるんですけど、まだホンモノを見てないんだよな。この本にちょこっと出てきますが、代々木にあるとは知らなんだ。代々木なら近いしな。

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2009年10月20日 (火)

【書評】家なき鳥 著者:グロリア・ウィーラン

家なき鳥読了◎。舞台は現代インド。コニーはインドの郊外に住む13歳の女の子。バープ(お父さん)とマー(お母さん)と二人の兄弟と一緒に質素に、しかし楽しく暮らしている。今度お嫁に行くことになった。バープが持参金を貯めて、お婿さんを見つけてきたのだ。心は家を去る不安と、まだ会ったことのない夫に対する期待に揺れる。バスに乗り、バープとマーと一緒に、嫁ぎ先のメイターさんの家に着いたコニー。彼女がそこで見たものは・・・。

なにやら、ってーのは変ですが、面白い。インドの一般大衆の、社会的な慣習、常識、迷信、等々が、いろんな形で顕れ、ストーリーを妨害したり、促進したり、掻き乱したりします。インド。インド。インド。インドだなあ。

ネタバレになるのでこれ以上のストーリーは伏せておきます。思うんですが、社会的な常識が全く異なる国に関する小説って、下手なSFより面白いかも。あくまでオレにとって、ですが。私にとって、小説ってーものは、ストーリーの先が読めないってのが、かなり重要な評価ポイントなんですけど、作者が無理矢理考える奇抜な設定より、異国の社会習慣のほうが、「読めない」。うわー、そう来たか、みたいな。

ええっと、ちょっと不謹慎?この小説をそんな風に読むのは?

そんなことないです。もっとそんな風に読みましょう。小説を予定調和のこじんまりした作り物にしておくのは勿体無いってば。

それ以外にも、主人公の語り口、簡潔だけどビジュアルな描写。読みやすい、それでいて密度の濃い文章。見かけによらずしっかりとした、一本芯の通った本です。久しぶりに小説世界の中に浸る感じを堪能しました。どきどきしたり、ホッとしたりね。地味だけどええ本です。一読をお奨めします。

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2009年10月19日 (月)

【書評】アフガニスタンとイラン-人とこころ- 著者:津田元一郎

アフガニスタンとイラン読了◎。著者は比較人類学専攻の教育博士。ユネスコ専門家。1969年から1973年にかけてアフガニスタン・イラン教育顧問として現地に赴任。その体験を通して知った、アフガニスタンとイランの、気候風土について、暮らしのようすについて、ひとびとの性格について。静かで暖かい目で見つめ、落ち着いた筆致で丁寧に描き出していく。

人間味があるってゆーか、浪花節ってゆーか、ホントに暖かい人柄の方です。読んででほっとする。個々のエピソード(例えば使用人のやらかす)は結構とんでもなかったりするんだけど、著者がそれを含めてしっかりと受け止めている感じです。しみじみします。ええ本です。

出版は1977年3月。書かれているのはイラン革命(1979年)以前のイランであり、ソ連のアフガン侵攻(1979年)以前のアフガニスタンです。これはもう古い情報なんでしょうかね。もうすっかり変わってしまっているのかなあ。この感情はもしかしたら、普通の人が日本の昭和30年代を懐かしむ感じと、ちょっと似ているのかもしれない。何で日本でなくイランなの?アフガンなの?って言われると、うまく説明できませんが。でもある種のノスタルジーってゆーか、古きよき時代のイメージってゆーか、そーゆー感じ、あの地方に抱きませんか?うーむ。オレだけ?

昔からペルシャになんとなく惹かれるものがあってね、イランとアフガニスタンは一度行ってみたい場所だったんだけどなあ。それも不思議だけどね。でももう、ちょっと観光に、ってトコではなくなったよな。残念だ・・・。

この本で一番ウけたのはイラン人の性格について述べている部分。

著者によるとイラン人は、”オアシス的性格”だという。高い土塀に象徴される相互不信と抱擁と頬擦りの親愛の情。表層は極めて開放的・社交的だが、中心に固い核があり、徹底した個人主義。主従の関係も上下の関係も見せかけだけのことで、みな、本当は自分が一番偉いと思っている。ひとりよがり、唯我独尊、猜疑心、非協調。武士は食わねど高楊枝。正義感。プライドの高さ。詩的認識、陶酔への志向。

そう。これ、まんまオレに当てはまるんだよ。そーか。それで親近感持ってたんか。うんうん。なんとなく納得。今も変わってないといいな。やっぱ一度行ってみたいなあ。

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2009年10月18日 (日)

【書評】思考する言語(下) 著者:スティーブン・ピンカー

思考する言語(下)読了◎。上巻中巻、下巻、の下巻。第7章はタブー語について。第8章がポライトネスについて。第9章は上中下巻全編のまとめ、総括になっています。

第7章 タブー語はなぜ存在するのか-人間感情の考察から

第8章 「ほのめかし」による駆け引き-言葉と人間感情

第9章 「洞窟」から抜け出せ-言葉の無限の可能性

個人的には第7章にはそれほど興味が持てなかった。面白くはあるのだが、実生活での関わりが希薄でリアルじゃないってゆーか。いや別にカマトトぶってるわけではありませんがね。

それに対して第8章は個人的に超スマッシュヒット。面白い面白い。目からウロコがぽろぽろ落ちる。うん。

繰り返しになりますが、ワタシは自分をアスペルガー的キャラクターであると自覚しています。アスペル君。そんなワタシの目には、サラリーマン社会は無駄で非効率でくだらないものにしか見えなかったわけですよ。その回りくどさ、分かりにくさ。曖昧で微妙なコミュニケーションのありかたがね。

第8章では人はなぜ間接表現を使うかという問いに、徹底的に答えていく。これ以上ない、ってくらいに。これを読めば、この私にも、分かる、ってくらいに。

考えてみたら、誰も、そういう(ほのめかしとか間接話法とか)コミュニケーションの方法の、効用を正面切って教えてくれたことはなかったぞ。それは多分、普通の人には言語化しづらい領域で、且つ、なんとなく直観的に分かる、って類のことなんだからだろな。ワタシにしてみれば、なんとなくそういうもんだ、と思うから調子を合わせているつもりなんだけど、本質的には分かっていなくて、根っこでそういうのを莫迦にしているもんだから、身につかない。或いは、「調子をあわせている」「莫迦にしている」というメッセージに変質してしまう。つまりは真剣さが足りない、と。

んーでも分かった。この本読んで分かった。なるほど。ポライトネスは大事です。フェイス(体面)を保つのは大事です。うんうん。ここまで掘り下げて説明してくれる人は普通、いないわな。英語学習というきっかけから読み始めて、思わぬところで思わぬ拾い物をしたのかもしれない。うんうん。世のアスペル君、第8章だけでもお奨めです。駆け引きやほのめかしが出来るようになる、かもしれない。

いいなあ。なんかわくわくするな。何が面白いって、例えば”相互知識としてのフェイス”って目でみると、非合理的な慣習としか見えなかった会社のやりとりが意味のあることに見えてくるんですよ。んで、そんならこうしよう(会議の席で指摘するんでなく、事前にさりげなく伝えよう、とか)って風にいろいろ思いつく。人間関係の作り方の幅が広がるというか。多分普通の人には「いまさら何を分かりきったことを」ってことでもね、オレにとってはその理論的背景が信頼の置けるものである、自分が納得している、ということが大事なんだよなあ。

えーっと。話がズレてますな。この記事の中に、「思考する言語(下)」の書評、と、アスペル君としての個人的な反応が混在してしまってる。ちょっと軌道修正。第9章が上中下巻全体のまとめになってますから、ここで仕切りなおして、全体を通しての書評で締めたいと思います。

第9章 「洞窟」から抜け出せ-言語の無限の可能性

単語や構文の意味、使われ方を通して、人間性の本性にせまることが出来る。ピンカーがこの本でやって見せたのはこれ。では言語を通して見た人間性の本性とは・・・。

ってことで、別ページに箇条書きにしてみました。ページ半ばの★第9章 「洞窟」から抜け出せ-言語の無限の可能性、以降で網羅的に箇条書きしてます。っつってもこの本自体を読んでないと断片的過ぎて意味わかんないだろうなあ。うーん。ま、ちょっとでも面白そうだ、と思った人は、本書を読んでみて下さい。期待は裏切られないと思いますよ。全ての英語学習者に。全ての言語オタクに。全ての哲学オタクに。全てのアスペル君に。お奨めです。

結びのことばがかっこいい。”言語という視点は、私たちが住んでいる洞窟がどんなものか見せてくれるだけでなく、どうすればそこから抜け出せるかも明らかにしてくれる。メタ ファーと組み合わせる力を使うことによって、私たちは新しいアイデアや考えを抱き、私たちを取り巻く問題に対処する新しい方法を見出そうとする。それを行 う間も、私たちの心にはアゴニストとアンタゴニストや、点と線と厚板や、活動と達成や、神々とセックスと排泄物や、共感と敬意と公正さが浮かんでは消え、 消えては浮かんでいる。そしてそれこそが、私たちの思考を作り上げている素材(the stuff of thought)なのである。”byピンカー。

そういえば、上巻の書評で取り上げた「動詞を構成しているもとになっている生得的な認知の傾向」は、本書の中ではごく一部のテーマだった、ってことですな。この傾向を元にした動詞の性格分類、仕方ないのでこれはこれで別で追いかけることにしよう・・・。

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2009年10月13日 (火)

【書評】クマにあったらどうするか-アイヌ民族最後の狩人姉崎等 著者:姉崎等、片山能峯

クマにあったらどうするか-アイヌ民族最後の狩人姉崎等読了◎。1925年、北海道はキリタップに生まれ、22歳からクマ撃ちを始め、以来1990年に春クマが狩猟禁止となるまで、25年間に単独猟で40頭、集団猟を入れると60頭を獲った、アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師。山の歩き方もキノコの採り方も、様々な技術は人間ではなくクマから学んだのだといい、私の師匠はクマだという。そんな彼が語る、猟師になるまで、そして猟師としての数々の体験。それから、クマの気持ち、クマの行動、そして、クマにあったらどうするか。死んだふり?それとも・・・。

姉崎等さんが語り、片山能峯さんが聞き書きする、というスタイルで話は進んで行きます。足掛け3年、合計6回のインタビューをまとめたもの。

うーん。面白い。まず体験がそもそも貴重でリアルです。様々な儀式やクマや自然に対する考え方が細かく説明してあり、アイヌの話としても読める。クマの習性をクマの側から詳しく描写してあり、クマの話としても読める。それから、長年山で暮らした経験から来る何が自然で何が自然でないかの指摘は鋭く、環境保護の啓蒙書としても読める。そして和人とアイヌの混血であったためにアイヌの狩猟の伝統を教えてもらえなかったにも拘らず、努力して独力で技術を身につけた、一種の偉人伝としても読める。一粒で4度美味しい。

どのエピソードをとってもとても具体的でなまなましく、面白いったらない。んで、語り手である姉崎さんのキャラがいい。師匠がクマってのが、なんの衒いもなくごく自然な発言として出て来ているのが良くわかります。その上、自身の体験を客観視するスタンスをお持ちです。語り手が酔わない。視点がぶれない。冷静で合理的。これらが相俟って、一種独特の語りになっています。一読をお奨めします。

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2009年10月11日 (日)

【書評】職業”振り込め詐欺” 著者:NHKスペシャル職業”詐欺”取材班

職業”振り込め詐欺”読了○。平成21年2月9日に放送され、大きな反響を呼んだNHKスペシャル「職業”詐欺”~増殖する若者犯罪グループ」の書籍化。被害総額1317億円、総被害者数約10万人。空前絶後の大規模犯罪振り込め詐欺。その主犯格は高学歴・一流企業出身の若者達だった・・・。

気持ち悪いものを読んでしまった、という後味の悪さ。もちろんそれは著者の責任ではなく、取材された内容によるものですが、とにかく後味が悪いぞ。ぺっぺっ。

ううむ。オレ、この手の本は嫌いだな。面白くない。読んだからといって触発されるわけでもない。でも、読まなきゃこの件に関する情報は得られない。あきらめて我慢して読む。で、憂鬱になる。この手の本。TV番組を書籍に起こしたもの。犯罪を取材したもの。日本社会の変質を描いたもの。うん。三番ですね。

無力感。取り返しがつかないじゃないか、っていう苛立ち。いや別に社会をどうこうしようと思っているわけではないけれど、わたしゃ正義の味方じゃないけれど、目の前で進行中の気持ち悪いことを止める手段がない、という感じ、その無力感。ディレクターのひとりが取材成果を報告する場で、本来ならあるべき達成感でなく、ショックを受けて落ち込んでいた、というエピソードがあとがきで書かれていますが、その気持ちは良く分かる。

考えてみれば不思議なんだけどな。んなことはどうでもいい、って立場も取れるはずだし、それではこうしたら?っていう立場も取れるはずだし、いちいち憂鬱になる理由が我乍ら良くわかんないな。うーん。

そういう変質って、漠然とは知ってるんだよな。カネ至上主義であるとか、努力が報われない風潮であるとか、勝ち負けの単純化された思考に毒された感じとか。この本を読まなくても、普通に会社生活していて、肌で感じることがある。それを気持ち悪いと思うが、しかしそれを全く無視することも出来ない、その感じ。自分が、影響されそうになる、影響されてしまう、そこが気持ち悪いんだ。憂鬱なんだ。ま、この本とは直接関係ないことですが。ちょっとした愚痴。すんません。

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【書評】味方をふやす技術 著者:藤原和博

味方をふやす技術読了○。話題の杉並区立和田中学校前校長藤原和博による、「よのなか」の歩き方シリーズの三冊目。っつっても出版が2002年1月で、校長になったのは2003年だそうですから、この紹介の仕方はちょっと問題あるかな。うーん。考えてみたらワシこの人のことあんまり良く知らないんだよね。よのなか 読んだときも宮台真司がメインだと思ってたし。

味方をふやす技術。え?それは教えて欲しい。っていうストレートなニーズからアマゾンに注文して一気読み。だいだいさあ、アスペルガー的キャラの人間は、当人にその気がなくても敵を作っちゃうもんなんだよね。私の場合、言動についてはそれなりに理性で以って統制が取れていると思っていますが(ホントか?)、挨拶とか視線の合わせ方とかはね、咄嗟にコントロールできない。ごく些細な事なんですが、サラリーマン社会の基準から言うと、「失礼なヤツ」になっちゃったりするわけですよ、これが。あと誰に根回しすべきか、とかも苦手科目だなあ。ま、これは時間を掛ければ理論的に割り出せますけどね。咄嗟で生理的な反応を伴うものが駄目だ。くだらないが、軽く敵を作ってしまう。だから、味方をふやす技術、おーそれそれ探してました!って感じで読んだんですが。

結論から言うと、もの足りない、誇大広告じゃねーか?って感じなんですけど。もっとちゃんと技術として説明してあるものを期待していたので。冷静に考えるとそんなものがあるわけは無いのですが、そういうものを期待してしまう傾向がワタシにはありましてね。はっは。

さて、そんなものはない、ってトコからもう一度見直す。そうすると、ワタシにヒットしたのは、この3点。シンプルすぎて物足りないくらいだけれど、こういうのはすぐに取り出せるようなワンフレーズでないと実用にならないから、これでいいんだ。

・味方をふやすためには、嫌われる覚悟も必要だ。
・ひとりの人間は何人の人間に責任を持てるか。十二人一単位説、家族四人、両親四人を除くとあと四人。
・”愛”というのは自然に起こるものではなくて、”愛すること”を決めること。結婚はその契約の儀式。

本自体の作りとしてはちょっと雑な印象を受けました。無理矢理パッケージした、みたいな。具体的にいうと、
第1章 心を通わせたいなら「ネガティブ・コミュニケーション」で
第3章 愛情について-「愛」を「愛」という言葉以外で語ってみる
は面白かったけど、第2章と第4章はつまらない。ただの水増しコラムに見えますな。

学者或いは文章書きとしては一流ではないが、中にとても体験的で響くものがあるので、信頼しても大丈夫。ってことでよのなかシリーズの1と2も読んでみようと思います。こういうことを教えてくれる人は貴重だ。ワタシみたいな人間にとっては特に。

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2009年10月10日 (土)

【レシピ】早い・安い・うまい・健康にいい!カミナリ丼

レシピを載せるのは久しぶりだ。実は今オックスフォード・サイエンス・ガイドという本を読んでまして。これがまあ、2段組767頁という結構なボリュームの本なんですな。そうするとそうそう書評を書いてらんない。読んでも読んでも終わんないんだから!で、まあウメクサとしてですね、ウチのヨメさんからの聞き書きレシピの登場、となるわけです。今日のお題は節約料理ってことで、早い・安い・うまい・健康にいい!カミナリ丼です。

<材料>どんぶり二人前

木綿豆腐一丁、天かす大匙3、砂糖大匙1、日本酒大匙2、醤油大匙1、ご飯どんぶり2杯分

<つくりかた>

①なべに天かすを入れ、からいりする。ちょっと強めの中火。

②油が滲み出たら四角く切った豆腐を入れる。一丁を8~10等分に切る感じ。

③酒をいれ、砂糖、醤油を入れて、ざっくり混ぜ合わせる。豆腐がちょっと崩れるような。

④ご飯に乗っける。好みで七味唐辛子を振ってもおいしい。

何でカミナリ丼って言うかというと、とうふを入れたときに「ばりばりばりっ」と景気のいい音がするんですよ。その音をカミナリに見立ててあるわけです。

豆腐料理って、健康にいいんだろうけどなんか物足りない、って感じが残るでしょ?いや正直に答えていいんですよ。コクが足りないだろ、みたいな。でもね、このカミナリ丼は、大丈夫。えっ?っと驚くぐらいコクとボリュームのある丼物です。ホントです。保証します。騙されたと思って是非是非一度お試しあれ。

パートナーの上手な動かし方 - ログスターバズ[LogStarbuzz]|みんなのホンネがここにある!

みんなの「食品の値上げ?節約料理で乗り切ろう!はこちら

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【書評】思考する言語(中) 著者:スティーブン・ピンカー

思考する言語(中)読了◎。上巻、中巻、下巻の中巻。上巻のメイントピックが動詞、サブトピックが構文だったとすると、中巻のメイントピックはメタファー。サブトピックが名前って感じですか。もちろん、動詞、構文、メタファー、名前、夫々は生得的な認知の枠組みの影響下にある、という考察が通奏低音です。

オレと、興味の持ち方がね、上巻はぴったり重なる。中巻は、そうでもない。最初はね、だから、ん?あんまり面白くない?のりが違うなあ・・・って感じで読み始めたのですが。逆に啓蒙度ともいうべきものは中巻の方が高かったかも。思いもよらないトコロを問題にしている、それは何故?どんな意味があるんだ?どんな関係があるんだ?って感じで引き込まれていく感がありました。それもこれも上巻ですっかりこの人のファンになって信頼を置いて読んでられたからですけどね。普通だったら、こんなトコ拘ってアホちゃうか、で読み飛ばしていたような気が。ちょっと反省。人間謙虚に生きないとね。

第四章 世界認識の四つの方法-物質・空間・時間・因果

第五章 メタファーがいっぱい!-人の思考の仕組みを解く

第六章 名前をめぐる謎-命名に関わる人間本性

つくづく、この人の立っているスタンスは面白いなあ。哲学と内観と実験心理。ついでに社会学。夫々限られた分野の限られた手法で、だから過去の研究者はとてももどかしい思いをしてきたのですが、これらを言葉という現象に注目することでひとつに統合してしまうといいますか。そのうち大脳生理学とかのハードウェア面も全部取り込んで行くんだろうな。言葉という現象、stuff of thought、切り口これ一本で!すげえすげえ。この手があったか!って思うのはオレだけ?

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2009年10月 6日 (火)

【書評】名探偵クマグスの冒険 著者:東郷隆

名探偵クマグスの冒険読了○。時は絢爛たる世紀末、処は大英帝国の首都ロンドン。登場するのは伝説の知の巨人、南方熊楠。ロンドン時代の熊楠を主人公にしたミステリ仕立ての短編集。クマグスがその博覧強記と観察眼で、難事件を見事に解決していく・・・。紀州弁で毒づきながら。

大日本帝国海軍の戦艦の設計を担当するアームストロング社での連続殺人事件「ノーブルの男爵夫人」、夜な夜なケタキアの精が屋敷を彷徨う「ムカデクジラの精」、盗まれたケルトの巨人兵の遺体はどこへ「巨人兵の棺」、革命家孫文を助け出せ「清国の自動人形」、コーンウォール地方に伝わる伝説の財宝「妖精の鎖」、ロンドンの阿片窟で消える清国人達を追え「妖草マンドレイク」。短編6編を収める。

もちろん作者の創作になる、軽い味わいのミステリ短編なのですが、この作者らしく、しっかりと取材して原典も明記(南方熊楠日記、南方熊楠書簡抄を始めとして14冊の参考文献)、引用も豊富、あたかもノンフィクションを読んでいるかのような錯覚を覚えます。

ミステリとしてはホンとに軽い、ワンアイデアストーリーですが、クマグスのキャラがいいので読んでて飽きない。この傍若無人さに憧れるなあ。この人が一番生き生きしてたのってやっぱこのロンドン留学時代だよな。いいトコロに目をつけたねえ。クマグスが活躍するところをもっと読みたいよぉ。続編を希望します。

考えてみれば熊楠こそ元祖オタクですな。ただとっ散らかってるだけで、体系を構築できなかったじゃねーか、っていう批判も含めて、とっても親近感が湧くんだよねぇ。

最後は隠遁、ってのがオタクのひとつの理想形なのかな。ファーブルもそうだったし。ふむふむ。老後どこに住むか、考えとかないとなー。

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【書評】君はフィクション 著者:中島らも

君はフィクション読了○。らもさんが逝っちゃってちょうど2年後の、2006年7月に出版された、落穂拾い的短編集。書かれた年は、最も古いもので1986年。最も新しいもので2004年。いくつかの作品は再録。いくつかの作品は雑誌掲載。いくつかの作品は書き下ろし。良くも悪くも寄せ集めで統一性がなく出来不出来の差が激しい短編集です。

ファンなんで文句言わずに読んで、それなりに満足。出来不出来が激しいのは、生前からそうだったし。統一性がないのも、慣れてるし。だからそれなりに満足です。

うう。ファンじゃなかったらやっぱ、ちょっと、怒るかな。だろうな。

昔、先輩に、中島らもは面白くないから嫌いだ、という人がいて、オレは、この人分かってないなあ、と思っていたが、でも冷静に見ると面白くない作品は結構ある。今回、考えてみたんだが、ネタが途中で割れてしまうもの、アイデアが生煮えのまま書かれてしまったもの、同じアイデアの使いまわしで書かれたもの、の3つが、この人の作品が面白くなくなるパターン。

アタマで考えて書くのはあまり向いてない人だったんだよな。ノリで書くっつーか、体験で書くっつーか、生きていく上での怒りとか悲しみとかのドロドロしたもので書くっつーか、意外とそういうのが向いていたんだと思うんだよなあ。純文学。私小説。ストーリーもオチも何もなし。エンタメもサービスもなし。

そのことを本人がどこまで自覚できていたかはちょっとアヤシイ。最後まで、書くこと=オチをつけることという縛りから自由にはなれなかったように見えるものね。

純粋で繊細であるが故に、社会でやっていくのが大変で、それに適応するためにアタマで武装する、そしてそれから自由になることが出来ずに、本来の純粋さ繊細さを見失ってしまう、そういう構図を見てしまう。そして、今回気づいたんだが、だから、オレ、この人のファンなんだろうな。そういう、自由になれずに駄作を書いてしまうところも含めてね。

らもさん、オレ、なんとか生きてますぜ。天国から褒めて下さいね。

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2009年10月 4日 (日)

【書評】ヤクザの文化人類学 著者:ヤコブ・ラズ

ヤクザの文化人類学読了○。 副題は「ウラから見た日本」。著者はテル・アヴィブ大学東アジア研究科教授のユダヤ人。客員教授として度々来日し、日本の非定住的社会の文化を研究している。そんな著者がテキヤの大親分の信頼を得て、組織の内側に入って研究することを許される。テキヤと生活を共にし、インタビューを重ねる中で明らかになる、カタギには見せないヤクザの姿とは、そしてそれによって照射される現代日本社会とは・・・。

日本人研究者ではここまで入り込むことは出来なかっただろうな。ジャーナリストではここまで本質を(日本社会の影として)見抜くことは出来なかっただろうな。著者が外国人で且つ大学教授であるという二重に部外者である強みが、如何なく発揮されています。

出版社が岩波ってことからも分かるとは思いますが、念のために書いておくと、ヤクザ本にありがちな、「古きよき日本の体現としてのヤクザ」的な称揚本ではない。また類型に当てはめて面白おかしくヤクザを描いた本でもありません。(因みにこれらヤクザのステレオタイプを使って報道するヤクザジャーナリズムについても一章が設けられ、考察が加えられています。)

極めて愚直且つ真面目に、ヤクザ社会を文化人類学的、社会学的、心理学的な観点から観察し、出来る限りの公平さ、正確さ、を以って記録し、考察した本です。記述していく際の、著者の注意深さ、誠実さ。それは時に読んでて冗長に思うほどなんですけど、学問的な正確さ、公平さを確保するためには必要なんだよね。

そしてそれを踏まえた上で印象に残ったのは、付録に収められたいくつかのエピソード(の選び方、書かれ方)とあとがき。著者が本質的に定住者でなく放浪者の側に立っているという感じです。そしてそれはイヤじゃないんだな。・・・ここんとこ放浪づくしだ。いっちょどっか行くか?

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2009年10月 3日 (土)

【書評】俺だって子供だ! 著者:宮藤官九郎

俺だって子供だ!読了○。脚本家で俳優で演出家で映画監督でバンドもやる、クドカンこと宮藤官九郎が週刊文春に連載していた育児エッセイ。クドカン三十四歳結婚十年目にして出来た子供「かんぱ」。ヨメさんの妊娠発覚の動揺から話は始まり、出産を経て、かんぱが無事三歳になるまでを毎週毎週レポート。笑いあり愚痴ありノロケありほのぼのありしみじみあり。

クドカン、三谷幸喜、の御両名は我が家の二枚看板。お気に入り脚本家なんです。木更津キャッツアイもピンポンもタイガー&ドラゴンも古畑任三郎も王様のレストランもDVD持ってます。オレじゃなくてウチの子供たちが。二人ともちょーっとオタク&アスペルガー入ってるんで繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し(しつこい)見てほぼ完璧に覚えてしまってます。一時期は突然二人で木更津キャッツアイの掛け合いが始まったりしてました。「だぉもー、あいがたぅ、ござひましたはぁ!」「だぉもー、あいがたぅ、ござひましたはぁ!」(西城秀樹のものまねをする山口先輩をお手本に西城秀樹のものまねを練習する公助のまね)とか、「きさらづぅー、キャッツ!(にゃあ!)キャッツ!(にゃあ!)キャッツ!(にゃあ!)」とかね。中学受験の頃の逃避&ストレス解消になっていたような気がするな。

いやこれは直接この本とは関係ありませんが。

ま、それはそれとして、ファンとしては取り敢えず一通り関係するものにはなんにでも目を通すというスタンスが我が家の家風であります。とはいうものの正直言って、文春で毎週読む分にはちょっとした箸休めとしてイイ感じなんでしょうけど、一冊丸々続けて読むのはちょっとどうか、って感じがしなくもなかったな。特に前半はオレなんでこれ読んでるんだろう、みたいな。いや面白いんですけどね。

なんでかってーと、前半はまだかんぱが小さいから掛け合いが出来ない。クドカンのひとりボケツッコミ。これに対して、かんぱが言葉を覚えた後半は、クドカンとかんぱの掛け合いになってるわけです。これがなかなかイイんだ。うん。お奨めかも。

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