2012年1月 3日 (火)

【書評】銀河ヒッチハイク・ガイド 著者:ダグラス・アダムス

銀河ヒッチハイク・ガイド読了◎。原題は「THE HITCHHIKER'S GUIDE TO THE GALAXY」。主人公のアーサー・デントはイギリスの田舎に住んでいる冴えない放送作家。ある木曜日の午後、地球は銀河外縁部開発計画に基づく超空間高速道路の建造のため、取り壊された。(最寄りのアルファ・ケンタウリの出張所に公示があったのだが、人類は迂闊にも気付かなかったのだ。)最後の地球人となったデントは、友人の異星人(と判明した)フォードと一緒に宇宙を旅することになる。頼りはあのベストセラー本、銀河ヒッチハイク・ガイド。(表紙には大きくDON'T PANIC!と。)

ダグラス・アダムス、早速読んじまった。もっとゆっくりゆっくり読もうと思ってたんだが、そんなこと出来るわけない。どんどん読んでしまう。てゆーか、あっという間だ。わお。SFですSFです!

この一本芯の通ったシニカルなギャグの連打、徹底的にナンセンスなシチュエーション、いいねえ。好みだ。んでもって、でありながら、実はストーリーはよく作り込まれているいるし、実は伏線は巧みに張られている、そして実はテーマにブレはない。なんというか、一貫してこの世界に真剣にギャグで異議を申し立てる感じ、とでもいうか。そう、無神論者が正面からギャグを噛ましてる(若しくは喧嘩を吹っかけている(或いは虚仮にしている))感じがなんとも面白い。誰に向かって?それはたぶん、そこに居ない神様に向かって。

さーて、次は宇宙の果てのレストラン、だな。注文しなきゃ。

おっと、忘れてた、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。ではでは。

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2011年12月30日 (金)

【書評】これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景 著者:ダグラス・アダムス、マーク・カーワディン

これが見納め読了◎。副題は「絶滅危惧の生きものたち、最後の光景」。イギリスのSF作家ダグラス・アダムスが、地球上の絶滅危惧の生きものたちに出会う旅に出た、その旅行記。彼らが棲むのは辺鄙な辺鄙なところ。(なぜかと言うに、人間の近くに棲んでいた連中は既に絶滅してしまったから。)飛行機を乗り継ぎ、若しくは無人島にわたり、或いはサバンナを歩いて、それともジャングルの中で野宿して。ひとめその姿を見るために、ただそのために。

相棒は動物学者のマーク・カーワディン。デコボココンビ二人の現地人との抱腹絶倒のやりとりあり、文明と進化についてのピリッとした考察あり、そして「彼ら」に対する深い愛情に満ちた描写あり。面白くほろ苦くそして魂を揺さぶられる一冊。是非是非一読をお薦めします。

イギリス人らしい、皮肉で内向的でユーモアに富んだ文章がとても良い。扱っているテーマは実はシリアスで重たい、んだけど、敢えてそれを感じさせない文章だよね。文章の波長が相性ピッタンコだなあ。

そうなのよ。ダグラス・アダムス、読んでなかった。SF者としてはこれはきっと大ポカ。ナンセンス・フェチとしても。とゆーわけで銀河ヒッチハイク・ガイドをアマゾンで注文(いつ読むんだいったい?)。ついでにAmazon.comでは原書をダウンロード(だからいつ読むんだよ?)。

えーと、せっせと四法対照に書き込みながら、息抜きに読むくらいは許されるのではないかと・・・。なんだかんだでもう2011年も終わり。短答まであと半年弱。早えなー。

なんだか纏まりがなくってすんません。朝から短答漬けで脳みそが働かん(ほんとにか?)。えーと、それではみなさま、良いお年をお迎え下さい〜。

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2011年12月18日 (日)

【書評】おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2 著者:村上春樹

おおきなかぶ、むずかしいアボカド読了○。雑誌「アンアン」に連載中のエッセイ、村上ラヂオを一年分まとめたもの。

いつものノリの、肩の凝らない軽いエッセイ。アンアンだしね。楽しく読ませていただきました。変わってないよねー。この人の正直で真面目なんだけどユーモラスな感じが好きだなー。こんな風に生きていきたいと思います。うん。

いつだったか、たしか「卵と壁」のスピーチの時かな、動画を見て、いきなり顔がおじさん化してたんでびっくりしたことがあったが、この本読むと中身は変わってないんだな、と安心する。昔からの読者の人はきっとこの感じ、わかるんでないかなー。

逆にあとがきで挿絵家が舞台裏の話をしたり、お礼を読者にでなく村上春樹にしている図ってのは、なんだか違和感があるんですけど。村上春樹が世の中に認められていくのは一ファンとして純粋に嬉しいんだけど、それがこういう「偉くなったのに書いてもらえて光栄です」的な扱いをされているのを見ると、それはちょっと違うだろ、って思う。本人もそんなん鬱陶しいだけなんではないかしらん?せっかく本人がおんなじようにやってんのに、回りがぎくしゃくしてちゃあ興が醒めるってぇもんだよ。

顔がおじさん化してても、中身は変わらない、こともある。前回の話題、変わらない内面の話にも繋がりますが。というわけで、アンケートを取ってみることにした。そういえばココログのツールにそういうのがあった気がするが、だめだ。見つけられないな。ってわけでいまwebを検索したら、アンケート作成ツールがあったので試してみることにする。

アンケートを行うにはここをクリック

質問はひとうだけ。自分の内面を覗いてみて変わったと思うかどうか、だけ。
これに何の意味があるのか。意味はない。でも回答がある程度溜まったら発表してみることにします。思いつきでなんでもやれるのがネットのいいとこだな。

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2011年12月10日 (土)

久しぶりに会う友達に会って思うこと

週末、ちょっと帰省してました。会社は有給とって、一泊二日で。両親とも実家(熊本です。あ、くまモンがゆるキャラグランプリだそうで。おめでとうございます。)でまだ存命しているので、年に一回は顔を見に(或いは見せに)帰省するってのが、子供としての最低限の義務かな、って思うので(我ながらハードル低っ!)。

んで、夜は、小学校のときからの友達と飲んで、アホな話をして、帰って来る。これが年末恒例の行事となっております。今回は私を入れて三人で。獣医と外科医と弁理士(予定)。自分の知らん業界の話は面白いねえ。知ってた?太ってる人を手術すると脂肪が邪魔で邪魔で、思わず看護婦が罵るのを聞きつつ執刀する(「このデ*め!」)ことになるんだって。だから今度、保険の点数に脂肪加算が導入されるとか(もちろんウソだが)。

んで、二人に、自分の内面て自分にしか分かんないでしょ?自分の内面を覗いて見ると、10代のころとちっとも変わってないんで、驚くんだよね(普段からね)。って話をしたらば、後の二人からは、「そりゃそうだオレもだ」「当然だ」みたいな反応が返って来てほっとすると言うか嬉しいと言うかそんな気持ちがしたんだが。

実は「自分の内面云々」の話をして、そういう反応が返ってことは滅多にないんだよね。普通は「いやいやそんなことは」とか「またまたあ」みたいな話になるんだよ。本気にしてもらえない。で、ええーっ、成長してないの、オレだけ?って不安になってたのですが、今回、同意してもらって超安心した。

さて、ここで考えたわけですよ。たまたまこの三人は40過ぎても10代のころから内面がちっとも変わってないのか。それとも40過ぎても10代の頃と内面がちっとも変わんないような三人であるがゆえにこの三人は10代の頃に知り合っているのか。偶然か必然か。

だいたい、内面が変わった、変わるものである、変わるべきである、ってヤツの話を聞くと、それって社会的な役割とセルフイメージが一体化しているだけじゃん。ってのが多いんだよな。私は部長である、私は医者である、私は父親である、みたいなね。「役割」と「私」は別だよ、って思うけど、もう一体化しちゃってるから会話も咬み合わない。

逆に言うと一体化してない(出来ない)オレらみたいな人種は、ちょっとした違和感を常に抱きつつ、社会で「役割」を演じてるんだよな。うん。そういう意味ではオレ、昔よりウマく演じる自信は、あるな。

必然だよなあ。どう見ても。こういう友達は大事にしなきゃね。

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2011年11月20日 (日)

【書評】ハーモニー 著者:伊藤計劃

ハーモニー読了◎。21世紀前半、北米の内乱に端を発した戦争は世界中に伝播し、使用された兵器の影響による新しい疫病が世界を覆った。<大災禍(ザ・メイルストロム)>と呼ばれるこの時代を経て、21世紀後半の地球上では権力としての国家は消滅し、代わって生府(ヴァイガメント)による統治が行われている。人を、公共のための貴重なリソースとして大切にする、共感と思いやりに満ちた社会。人々はナノマシンWatchMeを体内にインストールして医療サーバの管理下にあり、病気や痛みとは無縁だ。

おとなになること=WatchMeを体内にインストールすること=医療サーバの管理下に入ること。そして、おとなになること=おもいやりに満ちた人間になること=お互いがお互いを慈しみ支え合うこと。

そんな、清潔で調和のとれた社会に違和感を抱き、女子高生御冷ミァハ、零下堂キアン、霧慧トァンの3人は拒食による自殺を企てる・・・。

ああ。読み終わってしまった。いい。いいなあ。勿体無いので、惜しみ惜しみ読みました。伊藤計劃さんの本、2冊目ってことで。「虐殺器官」と地続きの、「虐殺器官」後の世界。ざっと数十年後の。それで、いきなり「女子高生」ですぜ?凄えな。

深く考えさせられる本でもありました、ワシにとっては。実はいろいろ言いたいことはあるのだが、ネタバレになるからなあ。でもこのブログに書くのはちょっと違う気がするな。ってわけで、考察については又の機会に。

とにかくSFとして、小説として、とても面白く、せつなく、且つ考えさせられる本です。日本SFの底ヂカラだなあ。日本でなければ書けない。SFでなければ書けない。伊藤計劃さんでなければ書けなかった。ああ。ぜひぜひ一読をお薦めします。

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2011年11月 6日 (日)

【疑問?】不正競争防止法の2条1項13号の品質誤認て?

たまには勉強ネタを(笑)。
不正競争防止法を勉強してて湧いてきた疑問です。まあ試験とはあんまり関係ないな、どっちかというと実務的なことなんですが。
分かりやすくするために、商標「ぶどう」指定商品「パン」で商標登録出願し、拒絶された、としましょう。4条1項16号の説明で必ず出てくる例ですな。

さて、商標法4条1項16号違反として拒絶された商標を、登録なきまま使用することは、商標法上は問題ない。(問題ないよね?)
しかし(問題になるとすれば)不競法2条1項13号で問題となる。(問題となるよね?)
ところが不競法の実効を担う部分である差止請求権(不競法3条)等は、主体的要件として「営業上の利益を侵害され又は侵害されるおそれのある者」と規定する。
では、商標「ぶどう」を指定商品「パン」で使用する行為により、営業上の利益を侵害され又は侵害されるおそれのある者とは、誰か。

なんで、これが疑問になるのかというと、4条1項16号って公益保護のための規定、でしょ?営業上の利益を侵害され又は侵害されるおそれのある者、っていう主体的要件と相性が悪い気がするんだよな。だから、商標「ぶどう」を指定商品「パン」で使用する行為により、営業上の利益を侵害され又は侵害されるおそれのある者、なんて居るの?って思っちゃう、っていう、そういうこと。

これが原産地表示とか原料とかならまだ分かる気がするんだが。そんときの根拠というか考え方はパリ10条の「日本産のチーズをオランダ産と偽ってアメリカで販売」した場合の「オランダのチーズ業者」と「アメリカのチーズ業者」ってことで、するっと頭に入る。

でもこれを「ぶどう」「パン」に応用していいものか。ちょっと迷うな。ぶどう屋さんとパン屋さんは、商標「ぶどう」を付した商品「パン」が販売されたことにより、営業上の利益を侵害されたのか?(又は侵害されるおそれがあるのか?)ちょっと違う気がしてしょうがないんだが。

これ結局、商標法4条1項16号でいう品質誤認と不競法2条1項13号でいう品質誤認の、指してる内容が違うってことだよな。そうそう4条1項16号の品質誤認のトコでクドいほど注意されたけど、4条1項16号でいう品質は「特性」であって「優劣」を含まない、もんね。

或いは、商標法が直接的に公益保護のための規定も持つのに対し、不競法はあくまで私益調整のための規定(いや解説本読むと公益っぽいことも書いているがそれはあくまで私益調整の結果でね)、その差が出た、っていうことかね。そういえば商標法は「あわせて需要者の利益を保護することを目的とする(1条)」って書くけど、不競法にはこれに該当する文言はないもんな。

って、ことは、だ。商標法4条1項16号に該当するとして拒絶された商標で、且つ、その品質の指す内容が産地・原材料・品質等でなく、あくまで「特性」である場合、実務上は問題にはならないんではないか、って気がしてしょうがない。つまり誰が訴えんねん?って話。(逆に言うと、試験対策としては、ぶどう屋さんとパン屋さんで納得しておこうと思ってる。間違ってる?)

法学書院の「不正競争防止法」(著者:青山紘一)の該当箇所の事例を見てみても、ぴったり来るような例は載ってないよなー。

どなたか、ご存知の方、或いはこの辺のモヤモヤについてあるあるあるって方、いらっしゃいましたら、ご教授又はご一報願えれば幸いですぅ。

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2011年11月 3日 (木)

【知財トンデモ話】商標法上の登録異議の申立て

弁理士って、法律の専門家なわけだけど、一般庶民の生活に普通に関わってくる、ってことはあんまりないよね?つまり知り合いに弁護士とか司法書士とかがいると、イベント発生(相続とか土地の売買とか)の際に重宝するけど、そういう、身内に専門家がいて良かった、っていう扱いを受けることは。まあ一般庶民が「こんな発明したんだけどどうかな?」的な事態を迎えることは極めて珍しいだろうからなあ。いやそれはそれでイノベーティブな素晴らしい社会という気はするが(笑)。

それは知的財産を扱う専門家ってことで、扱っている領域がちょっと特殊だからだよね。だからウチのヨメさんなんかは、弁理士?使えねー、っていう印象を持っている。生活する上で関係がないと。でもそれは一般庶民の話で、実は企業のサラリーマン、それも管理職となると話は別で、知財の分野は色々な形で関わりが出来てくるものですな。

ここでは、サラリーマンやってて遭遇した、知財に関するちょっとしたネタを書いてみようと思う。(んで、人気があったら【知財トンデモ話】としてシリーズ化しようかな。ネタは結構いろいろあるぞ。)弁理士の勉強してなかったら別に気にもならずにスルーしていたのだろうと思うが、弁理士受験生としての知識に照らして、「?」ってことは結構あるのだ。で、それがワシの知識の未熟によるものか、実務を知らないことによるものかがよく分からない。

ある会社の話。商標登録出願をして、登録査定を受けたわけ。で、営業部隊がさあ使おうとしたら会社の知的財産部からストップが掛かった。登録異議申立期間の2ヶ月が過ぎるまでは使うな、という。はあ?登録査定を受けてるわけだから法的には使用には全く問題ないっしょ?なんでダメなの?
異議申立を受ける可能性がある?受けて立ったらエエやないか。そのための知的財産部でしょ?
それに使用って言っても別に全国紙に広告打つとかじゃなくて、顧客1社を相手にしてのプレゼンで使う配布物20部に載せるだけなんすけど。これが問題になると本気で言うてんのかコラ!

口調が荒れてしまったことをお詫びします(笑)。いやあの、ある会社の話、ですからね。

どうなんでしょうか、これって実務上は結構あることなの?ワシの感覚ではこれは「トンデモ話」に属する類の話なんだが。

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2011年10月15日 (土)

【書評】あたらしい哲学入門―なぜ人間は八本足か? 著者:土屋 賢二

あたらしい哲学入門―なぜ人間は八本足か? 読了◎。帯の煽り文句は「才色兼備な女子大生を熱狂させた伝説の哲学入門講義がここに復活!」。おなじみ土屋教授の、御茶ノ水女子大での講義「哲学」を元にした哲学の入門書。哲学の問題は、いくら考えても解決できない、わけではない。実は明快な解決がある。哲学の問題を実際に解いてみせることで、哲学について丁寧に解説してゆく。

土屋教授の、ユーモアエッセイでない本を読むのは初めてかもしれない。真面目な哲学入門書も書くのか、と軽く驚く。しかも書いてあるネタはいつものユーモアエッセイと全くおんなじで、再び驚く。しかし真面目な哲学入門書である本書の方が、ユーモアエッセイよりも数倍面白い。どういうわけだ。三たび驚く。

いやー面白い面白い。勉強の息抜きに軽い気持ちで読み始めて、やめらんなくなって一気読み。(って最近コレばっかやな。抜きまくりやんけ!)やっぱ「溜まってる」ってことですかねえ。うんでも思うんだけど、一日一冊を目標に一生懸命読書してブログに書いて、ってやってた頃より、純粋に読書を読書として楽しめてる感じがする。お勉強があるんで読みたいけど読めない読みたいけど読めないああー駄目駄目駄目駄目読んじゃった、ってのが読書の快感を高めてくれている気が。これを称して読書M、略してドMと呼・・・ばないな。単に逃避してるんじゃないかって?いやちゃんとお勉強もやってますって。ホントホント。ま、それはそれとして。

オレ昔からナンセンスギャグが好きでなあ。ルイス・キャロルとか、そういう系譜のギャグ、それと、座禅の公案(←いやそれ並べるのはどーよ?)。右手と左手鳴ったのはどっちか、なんてェ奴。もう小学校の頃から、そういう類のものが気になって気になって。そういうのに接すると、理由もなくなんだかワクワクするんだよ。今も。このワクワク感は、とてもとても根が深いなー。たぶん。オレのDNAの一行目(ってどんなDNAだよ!)に刻まれている気がする。昔々オレの母親が「おまえはナンセンスギャグにフェティッシュがあるみたいね」と言ったとか言わなかったとか(すみません。虐殺器官ネタです)。

真面目な話、試験に受かって好きなだけ本が読めるようになったら、取り敢えずウィトゲンシュタインのはしごをよじ登って逆立ち位はしてみたいものだと思う。いや結局は放り投げるんですけれども(すみません。これも一種のネタです)。

それと、この本とは直接関係がないけど、同じナンセンスが、一方ではナンセンスギャグになり、一方では様々な思考のモトとなり、一方では思考を止めるためのモトとなった、その扱われ方が面白いと思うんですよ。モンティ・パイソンとアリストテレスと白隠禅師。そーかそーか、一緒かあ。これで一冊書けないかな。

やりたいことリスト、読みたい本リストが増えてくのはなかなか楽しいね。(逃避の典型的な例です。自覚。はい。気をつけましょう。( ̄へ ̄|||) ウーム)

で、これのどこが書評やねんて?(すみません。マジで面白いんです。一読をお薦めします。)

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2011年10月12日 (水)

【書評】虐殺器官 著者:伊藤計劃

虐殺器官読了◎。舞台は911後の近未来。サラエボは核爆発により消滅し、インドとパキスタンの国境には、核のクレーターが点在する。先進諸国はテロ封鎖のため徹底した管理社会を構築しており、一方、第三世界では紛争が絶えない。その世界にあって、米情報軍特殊検索群i分遺隊は暗殺のエキスパート集団で、第三世界の非人道的な殺戮の原因である独裁者、原理主義者等を速やかに排除することを任務とする。所属のシェパード大尉は、近年第三世界で急増する虐殺の陰に、ジョン・ポールという名のアメリカ人の存在があることに気づく。ジョン・ポールとは何者なのか。その目的は。

なんだかうまく要約出来ない。こんな要約なんかじゃとてもその魅力を伝えることは出来はしない。悔しい。

少し前にTwitterで話題になっていたので、軽い気持ちで入手して、軽い気持ちで読み始めて、ところがそのあまりの面白さに本を措く能わず、(読むのが)勿体無い、と思いながらも一気読み、読み終えて暫し呆然。負けました。脱帽です。

この描写の細かさ、確かさ。圧倒的なリアリティだ。そして何気ないガジェットの描写もキッチリ伏線になってるし。ストーリーには幾重にも仕掛けが施されているし。それからなにより物語自身の持つ存在感。正しく思考実験をするならば、このようにならざるを得ない、というような。

この面白さ、なんと表現したらいいのだろう。でまた興味を抱いている領域がとても近いんですわ。ワシ自身と。進化心理学、言語学、アメリカの社会構造、等々。面白すぎて居ても立ってもいられない、みたいな感覚。これ久しぶりです。

それから、きっかけがね、アメリカで受賞、って話題だったことから、読後、思ったのはね、アメリカ人、これ読めるのかなってことだな。或いはアメリカ人は、これ読んでどんな感想を持つのかな、っていう。アメリカ人には、これは書けないな、っていう。二重三重に皮肉な結末だよね。これはね。

ぜひぜひ一読をお薦めします。

・・・今調べたらTwitterで話題になっていたのは、同じ作者の「ハーモニー」の方ですね。P.K.ディック記念賞の審査員特別賞受賞、ってことで。これも 手に入れて読まなければ。そして、作者はもう亡くなっているんですね。そのことにもショックを受けた。なんてことだ。この人の書いたものをもっともっと読みたいのに。

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2011年9月 4日 (日)

【書評】エンジン/ENGINE 著者:矢作俊彦

エンジン/ENGINE読了◎。明け方の銀座四丁目。張り込み中の游二の目の前で、ランチアから降り立った金髪の美女は、ティファニーに銃弾を撃ち込み、悠然とイヤリングをつまみとる・・・。

っていう派手なオープニングからして、一種独特の「現実離れ感」が漂うわけです。んでもって、主人公の游二のキャラも行動パターンも、「これのどこが刑事やねん!一匹狼の探偵(オプ)のまんまじゃねーか?!」っていうツッコミ入りまくり。連続外車窃盗団を張り込み中の築地署の刑事游二、そういう意味でのリアリティは全くない。にもかかわらず、というべきか、この感じ、主人公が何かに突き動かされるように事件にのめり込んでいく感じが、凄くいい。凄く「リアル」だ。取り憑かれたように破滅的に突っ走る感じが。

話自体は全くリアルではないけれど、登場人物たちも全然リアルではないけれど、甘くなく、作りものでなく、ちゃんと話として成立しているんですわ。それはなんでか、って考えるとね、そこにある「情念」はとてもリアルだ、っていう、そういうことではないかと。

一種虚無的な情念を抱えて、枠からはみ出してしまう、はみ出してしまいたい、感じ。これがなんだかガツンと来たっていうか。これはワシの個人的な好みの問題?いや今の日本のある側面、通奏低音なんではないかしらん?っていうのは考え過ぎか。まあそれはどうでもいいや、面白く且つ完成度高いです。一読をお薦めします。

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2011年8月 9日 (火)

【商品レビュー】MacBookAir買っちゃった!!

ってゆーか、ただの自慢なんですけど。すんません。いやー、買ってしまいました、MacBookAir、11インチ、64G、最も廉価なヤツですが。う、う、う、嬉しい。

実を言うと買ったのは日曜日だったんですけどね、初期不良で交換、実質使えるようになったのが今日だったという・・・。オレ、いっつもアップル製品では何かしらハズレを引いて、ひどい目に遭う。それでも熱心なアップルユーザー。ヨメさんはアップル信者と呼ぶ。今回は電源入れて30分しないうちにトラックパッドとキーボードが反応しなくなったという、珍しい症状でした。初期不良ということで交換してもらい、さあこれで厄は落ちたのか?軽快に動いております、MacBookAir。

ウェブを見るにはiPadが便利なんだが、キーボードを使うとなるとやっぱちょっとイラっとしますね。BlueToothキーボードも持ってますけど、繋いだりするその操作が面倒。今まではLet's Noteを使ってましたけど、ちょっと液晶の不具合とかがあって。どーせなら、あこがれのあのマシン、値段も随分やすくなったし!ってわけでヨメさんを説得、晴れてMacBookAirオーナーだぜっ!正確に言うと誕生日のプレゼントに買うてもろたんですけどね。

いやー、早いわ軽いわ美しいわ。やっぱ女房とMacは最新版に限る!あ。いや。そんな罰当たりな。

んーと、具体的なレビューは敢えて、なしね。ただの自慢なんで。お勉強忙しいし。しかしこれが8万円台かよー。すげえ時代になったなあ。

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2011年7月17日 (日)

【書評】歌うクジラ 著者:村上 龍

歌うクジラ読了◯。舞台は近未来の日本。21世紀初頭、グレゴリオ聖歌を正確な音程で歌うクジラが発見された。そのクジラの細胞から採取された遺伝子(SW遺伝子)は、細胞の生命時計であるテロメアを修復し、人類に不死をもたらす。そして一世紀が経ち。最下層出身の青年タナカアキラは、流刑地「新出島」を抜け出し、「老人施設」を目指す。彼の身体にはSW遺伝子の秘密を記したICチップが埋め込まれている。社会を転覆させるほどの。最高権力者ヨシマツに会い、ICチップを渡せ。彼の父親はそう言い遺した・・・。

面白いか、ってゆーとまあ面白い。ヨメさんに貸したらあっという間に読んでしまってたんで、客観的に見て、読みにくいってこともないんだと思う。でもオレなんだかノれなかったんだよなあ。残念ながら。

一つにはお勉強に時間を掛けてるんで、いまいち集中して読書に没頭出来ない、ってのはある。普通の状態で読んだら◎だった可能性はじゅうぶんにあるよ。それは認めた上で、一応書いて置くな?

読後思ったんだよ、村上龍は年をとったんだなー。いやだれでも年はとるけど、このヒトの場合、体制側に取り込まれた感が漂っちゃう、そういう年の取り方。練れたというか、慣れたというか、熟(こなれ)たというか。お話としてのダイナミズムを捨てて、社会的なメッセージを取った、という弁護は可能かもしれないが・・・。いややっぱり納得がいかないな。

主人公に主体性がない。主人公の造型の問題ではなく物語の構造として、主人公に主体性がない。ネタバレになるので詳しくは書かないが、結局、タナカアキラくんの地獄巡りツアー、なわけですよ。もちろんただそれだけではなく、そう思わせておいて、ちゃんとそれをひっくり返す仕掛けもしてありますけど、しかしそのひっくり返しも含めて、お約束に見えてしまう。そのひっくり返しも含めて、主人公に主体性がない、ように見える。

日本のある側面をグロテスクにデフォルメして外挿された近未来。鍵は閉塞感であり、既得権であり、差別である。テクノロジ面でのガジェットはど~でもいい(いやお話的にはどうでもよくはないんだが)。そのある側面は正しくキッチリと反映されていると思う。そしてこれを描くのはそんなに簡単なことではない。その意味で、年を取って衰えた、ということでは全然ない。眼力も筆力も。読者としてのオレの不満は、この小説では今の閉塞感を打破出来ない、という点にある。そして打破出来ない閉塞感に捕らわれている今の状況を(打破しようとしても打破出来ない状況を)描いたのだ、と言われたら、そこで諦めるのは(もしかして諦めた自覚さえなく?)、「らしく」ないよね?ってことなんだよ。そのらしくなさが年を取っちゃったんだなあ感の中身だと。眼力筆力でなくスタンスの問題。

世界観に破綻はない。小説としてダメな訳ではない。でも好きになれない。そういう小説。それをあの、村上龍が書いたことが許せない、ってゆーか。いつからあなたはこういう目線で小説が書けるようになったんだ、ってゆーか。このヒトの本は殆ど全て読んでるが故に、余計にそう思うんだろな。

いかんタダの愚痴だ。書評ってヤツも書き続けてないとなんだかカンが鈍るんだなー。一旦出直します。

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2011年6月13日 (月)

短答試験の結果は・・・

こういうタイトルの記事を今頃書いている、ってことは、はい、そうです、短答落ちてしまいました(泣;)。まあなあ。一年で受かるほど甘くないよねえ。実はもっと早くに、自己採点で、多分ダメってのは分かってたんだが。気分はもう来年の合格目指してすぐスタートだ、ってことで、なんだかPCに触る時間がなくてなあ。ブログ、放ったらかしになってしまってました。ごめん。

やっぱ甘かったな。何だかんだいっても去年は、結構本を読んだり書評を書いたりしてたもんね。ここんとこマヂで勉強してるんで、よく分かる。本を読んだり書評を書いたりするってことは、丁度その分、勉強してないってこと。時間という限られた資源の奪い合いだもんね。でも、意外と集中切れてません。やる気まんまんだぜ。

なので、今年は、さらに更新頻度、落ちます。たぶん。ブログ書くのも、時間は取られるからねえ。この一年は大目に見てください、ってオレ、誰に言ってんだろな(笑)。

でも、一ヶ月放ったらかしにしても、一日あたりの訪問者数ってそれほど減らないんだね。ちょっと意外だった。もっと急降下でさびれて行くものかと思ってたよ。

そんなわけで、出来るだけ手を抜きつつ、世の中から忘れ去られない程度に、ブログの更新。余った時間は全てお勉強に充てる、予定。書評は2週間に一冊か1ヶ月に一冊程度になるかと。あ、それでも多い?

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2011年5月 5日 (木)

【書評】小暮写眞館 著者:宮部みゆき

小暮写眞館読了◎。宮部みゆきの現代もの。東京近郊のちょっと寂れた商店街にある小暮写眞館に越してきた一家を中心とする、連作中篇4篇を収める。

花菱秀夫・京子夫妻はちょっと変わっている。築三十三年の古びた写眞館が気に入り、改装してそこに住むことにしたのだ。高校生の長男英一と、8歳年下の弟、光も一緒だ。英一は花ちゃん、光はピカちゃんと呼ばれている。ちょっとした勘違いから、不思議な写真を手にした英一は、友人のテンコと共に、心霊写真探偵もどきをやることに。聞き込みで判明したもう一つの事実。小暮写眞館には前の持ち主、小暮さんの幽霊が出るのだという・・・。

このオカルトとミステリがいい感じでの入り混じった味は、宮部みゆきだよなあ。宮部みゆきのオカルトは、京極の妖怪とちょっと似てて、この人特有の味を出す小道具なんだよね?オカルトという現象そのものは、実はどうでもいいんだよ。

この人が書きたいコトってのは、家族とか、愛とか、そういう、ちょっと気恥ずかしくなるくらい真正面なトコにある。或いは、重たいトコに。そういう意味で、実は直球の社会派なんだよね。前から思ってたけど、この作品読んで一層その感を強くした。

その真正面さ、メッセージ性、社会性、現代性を、青臭くなく説教臭くなく嘘臭くなく、エンターテイメントとして書けるのがこの人の特技。それでいてそのメッセージはちゃんと心に残る。ええ本です。一読をお薦めします。

にわか心霊写真探偵の花ちゃんが遭遇する、様々な事件。花ちゃん、テンコ、コゲパンら高校生の登場人物のキャラがいい。この、根がまっすぐな感じが好きだぜ。

ただ、文体に関しては、今回、ちょっと荒れた?今までにない省略ぶりかと。これもケータイ小説とかの影響なのかしらん?いや別にケチをつけるつもりはないが、なんだか残念ですぅ。

・・・ってわけで、久々の書評です。なんでかってーと、そう、5/22の短答試験に向け、追い込みな訳ですわ。4月はとうとう更新一回のみ。ブログ的にはダメダメなんだけどさ、まあとにかく受かんなきゃ、ってコトで、ブログ更新の時間がないくらい勉強してます(ホントか?)。引き続きしばらくは休みがちになる予定。ああ早く受かって一日一冊に戻したい。ではでは。

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2011年4月 9日 (土)

【書評】夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 著者:村上春樹

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです読了○。副題は「村上春樹インタビュー集1997-2009」。村上春樹の初のインタビュー集。時期的には「アンダーグラウンド」刊行直後から「1Q84」のBOOK1,2を書き終えたあたりにあたる。

結構長めのインタビュー(”るつぼのような小説を書きたい(『1Q84』前夜)”約80頁)から、あっけないほど短いインタビュー(”世界でいちばん気に入った三つの都市”約10頁)まで、長短様々なインタビュー18本を掲載。1年に1本半弱のペースってことですね。

このヒトの書いたものを読むと、その落ち着いた”語り”に、いつもとても安心させられるのを感じるんですわ。着実に、はっきりと順序立てて、必要なことを、語る。まずそのトーンにやられてしまう。安心して読める。後はただ物語を追っていけばいいわけで。

このインタビューのトーンも、基本的には一緒。落ち着いていて、奇を衒わず、淡々として、ちょっとユーモラス。楽しく、興味深く読んだ。

人生と仕事との関わり、という意味では、このヒトの生き方はひとつの理想のように思えるんだなー。自分が好きで得手なことを、自分でコツコツと磨いて、それが社会的に受け入れられ、ゴハンが食べられる、という。これが自己実現ってヤツのわかりやすい形だよね。

それから、この本を読むと、”物語”を書いてみたくなりますね。これ、オレだけかと思ったら、ウチのヨメさんも同じコトを言ってたんで、結構一般的な感想なんではないかと思うな。・・・それですぐ書けてしまうほど、甘いものでもないけどね。でもまあ、その”作業”というか”過程”が苦しくも楽しいものであるという”感じ”はなんとなくわかる気がする。ので、ちょっといろいろ、書いてみたりしてます。もちろん発表なんてしませんけどね。

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2011年3月27日 (日)

【アプリレビュー】電子法令検索for iPhoneで「原子力損害の賠償に関する法律」を引いてみた

iPadで重宝している電子法令検索(レビューはこちら)の、iPhone版が出てた。画面の大きさの制約があるんで、iPad版の方が使い勝手がいいのは間違いないんだけど、肌身離さず持ち歩くってコトではiPhone版のほうが役に立つ。かなり巨大なアプリですが、なんせ現在施行中(平成23年3月1日現在)の法令を全て検索出来ちゃう。オフラインで。法律一式、全部持ち歩けるわけです。いつもポケットに法律を。ダウンロードはこちら

ってわけで、さて、早速、引いてみました、「原子力損害の賠償に関する法律」。いや工業所有権四法は四法対照のiPhone版持ってるし、今更だと思ってね。制定は昭和36年6月。オレと同世代(ひとつちがい)だね、この法律。改めてオレら原子力世代なんだなあ、と思ったよ。

原子力損害の賠償に関する法律、全部で26条からなる、コンパクトな法律です。特許法とかと比べるとあっけないくらい簡素なつくりですなあ。

ざっと目を通す。当面、話題になりそうなのは、第三条と十六条、十七条あたりかな。

第三条 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。

第十六条 政府は、原子力損害が生じた場合において、原子力事業者(外国原子力船に係る原子力事業者を除く。)が第三条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき額が賠償措置額をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする。 2 前項の援助は、国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内において行なうものとする。

第十七条 政府は、第三条第一項ただし書の場合又は第七条の二第二項の原子力損害で同項に規定する額をこえると認められるものが生じた場合においては、被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにするものとする。

うーん。第三条の但し書きを適用するかどうかが分かれ目か。但し書き適用→十七条。適用ナシ→十六条ってことですかね。どうなんだろう、今回の事故。文理上は但し書きに相当するんだろうけど。感情が納得しないよねえ。衝くとしたらどこでしょうね。「異常に巨大な天災地変」か?「当該原子炉の運転等により」か?或いは超法規的措置か。

あ、そうか。逆転の発想で、十七条の「被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにするものとする」を使うというのはどうでしょうか。「必要な措置」ってトコがミソ。

因みにオレ、東電の株は200株ほど所有していたんですが、事故後叩き売り。略買値の半額で売却、大損ですわ。教訓。やっぱいい加減な気持ちで買っちゃ駄目だよね、株はね。

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2011年3月20日 (日)

【日記・つぶやき】311を経て思ったことなど

3月11日の地震以降、ブログへのアクセスは急減。そりゃそうだ。こんなノンポリでお気楽なブログ読んでる場合じゃない。・・・・ってことで一週間が過ぎ、やっと少しだけ平常時モードに戻りつつあります。

別に被災してネットに繋げなかったとか、地震の後始末が大変で記事を書く時間がなかったとか、そういうわけでは全然ない。とてもブログを書くことが出来る精神状態ではなかった、というのが正確なとこ。まあ一種のパニックになっていたんだな、と振り返ってみて思います。自分の器の小ささというか、弱さというか、そういうものを見せ付けられた一週間でした。ともするとネガティブに傾きそうになる心を励まし、偏狭になりがちな視野を押し広げ、過剰に反応する身体を宥めて折り合いをつける。そんな、自分の面倒を見るってことに殆どのエネルギーを取られる感じ。情けない話ですが。

もちろん、月曜からちゃんと会社には行ったし、仕事もしたんですよ。ウチの中の惨状(本の土砂崩れ)の片付けもやったし、耐震金具の再セットもやった。表面的にはごく普通に暮らしていた。でも自分の中では実はパニックの嵐が吹き荒れていたんですわ。

なにがそんなに?

時間が経って少し落ち着いて、少しはモノが考えられるようになったので、自分の頭を整理する、という意味で、ここに記録を残しておこうと思います。

症状の1:地震は怖くない、原発が怖い
自分の感じていた(いや今も感じている)恐怖の正体は、地震ではなくて原発なんだと自覚。いつ起こるかわからない地震は交通事故みたいなもので遭えば大変だとは思うが怖くはない。でも今進行中の原発事故は、怖かった。

症状の2:被災地の状況を読むと、いてもたっても
オレ、読んだものに感情移入してしまうので、いてもたってもいられなくなる感じがあるんですわ。そしてそれを繰り返していると、軽くウツになる。感情を鈍磨させてしまう感じというか。それがつらい。

んで、夫々の症状にどうやって対処したのか。振り返ってみたいと思います。

<怖いのはわかった、んで?>
なんで怖いのか。放射能は目には見えない、だから今自分が「やられ」てるのかどうか、それすらわかんない。そんなら、目に見えるようにしましょうよ、ってんで、取り敢えず放射線の状況を定点観測。自分でガイガーカウンタ買わなくても、ナントカなるもんだ。
ナチュラル研究所「ガイガーカウンタ」(個人で趣味で放射線測定をされている方のページ。東京日野市。東京なら距離はまあ誤差の範囲かと。見易いのでお勧め。)
放射線測定ネットワーク(測定結果を公表している各種機関のページをグーグルマップ上にまとめたもの。)
全国の放射線モニタリング状況(文部科学省のページ。)

あとは知識で武装する。これはオタクの基本だ。何がどの程度危険なのか。自分が何を知っていて何を知らないのか。誰が信用できる情報源で、誰がただのアジテーターなのか。情報の取捨選択。今回改めてtwitterというのはすごいものだと思いました。その情報源の過去の発言を遡れるので、信頼できるかどうか、自分で検証が出来るという点は大きい。速報性と信頼性のバランスが取れていると。
Ken ITO 伊東 乾 (itokenstein) on Twitter東京大学准教授:作曲=指揮・情報詩学研究室。冷静。結局人間、胆力なんだ、と納得。)
ryugo hayano (hayano) on Twitter(早稲田の物理学者。誠実。科学者の鑑だと。)
福島原発の放射能を理解する(現状分析。客観的、煽りナシ。)

<いてもたってもはわかった、んで?>
次は症状の2にどうやって対処するか。自分の無力感と戦うってことだ。どんだけ心配しても、どんだけ考えても状況は変わらない。変えるためには具体的に何か行動を起こさなければ。ってわけで、取り敢えず募金することにする。募金詐欺も横行しているというし、悩ましいんだけど、これもTwitterで知ったこの文章を信じて、NPOユニバーサルデザイン研究機構に*万円を募金。これで騙されたらそれはそれで仕方がない、と腹を括る。
被災地からの報告 阪神震災とは違う実情

これで、いくらか和らいだか、ウツ。気持ちの問題っちゃー気持ちの問題だ。今後も募金は継続していこうと思う。

とまあ、こんな感じで、取り敢えずこの一週間を総括。

今回、いろんなことが見えたな。自分自身についてもそうだし、社会についてもそうだ。原発事故後の世界を生きるということが、どういうことなのか。何が変わって何が変わらないのか。何を変えていくのか。政治のこと、マスコミのこと、社会のあり方。・・・今回の事件は、黒船なんだよね。この事件が日本の閉塞感を打破するきっかけになって、社会が良い方向へ替わり始めることを願うよ。マジで。そのために自分に何が出来るのか、真剣に考えることにする。(いやまず試験に通らないと、というツッコミはありですが(笑))

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2011年3月 5日 (土)

【書評】西巷説百物語 著者:京極夏彦

西巷説百物語(にしのこうせつひゃくものがたり)読了○。妖怪の類の噂は上方でもよく聞く。桂男に魂取られただとか、豆狸が酒を買いに来ただとか・・・。妖怪・あやかし・不思議、の姿を借りて、依頼人の晴らせぬ恨み、どうにもならない依頼の筋、を通してやる仕掛け仕事。請負うは帳屋の林蔵。林蔵は只の帳屋ではない。二つ名が”靄舟の林蔵”、相手を舌先三寸の嘘舟に乗せ、知らぬ間に彼岸へと運ぶ・・・・。

桂男(かつらおとこ)、遺言幽霊水乞幽霊(ゆいごんゆうれいみずこいゆうれい)、鍛冶が嬶(かじがかか)、夜楽屋(よるのがくや)、溝出(みぞいだし)、豆狸(まめだぬき)、野狐(のぎつね)、中篇7篇を収める。

題名どおり、巷説百物語の、上方版。役どころとして”御行の又市”にあたるのが”靄舟の林蔵”。キメのセリフは「これで終いの金毘羅さんや」。又市とは悪友、腐れ縁。

ってわけで、はい、面白く読ませて戴きました。京極夏彦、相変わらず達者でんなあ。

この物語には、山岡百介にあたる人物が「いない」からね。ワトソン役が語るのでない物語、ってわけで。多くの場合実は”仕掛けられる側”から語られる、このお話の感じは、独特です。思うに、本人ですら知らない、覚えていない、意識していない、そのことが、自身の意識によって暴かれていくというその感じが、人の心の中に、”魔”が”棲む”って感じにぴったり合ってるんだよなー。わざと?わざと?うまいなー。

見た目厚いんですけど、会話が多いし字も大きめで、あっという間に読めてしまいます。京極ファンは必読でしょう。ってオレなんかに言われなくてもきっとみんなもう読んでるか。

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2011年3月 3日 (木)

【書評】カラー版 小惑星探査機はやぶさ ―「玉手箱」は開かれた (中公新書)  著者:川口淳一郎

小惑星探査機はやぶさ読了◎。副題は”「玉手箱」は開かれた”。2010年11月16日、小惑星探査機「はやぶさ」がイトカワから地球に持ち帰ったサンプルがイトカワのものだと発表された。人類の作ったものが地球の引力圏外まで行って着陸し、再び戻ってきたのは、有史以来この「はやぶさ」が初めてである。日本の科学技術の粋を集めた「はやぶさ」誕生の経緯、打ち上げの模様、そして見舞う様々なトラブルを如何にして乗り越え、帰還を果たしたのか。プロジェクトを率いた本人が、熱く語る。

基本的に、科学者が一般読者向けに、今回のミッションの一部始終を分かりやすく書いている本、なんです。あおりなしやらせなし演出なし。あるのは事実の記録と明快な解説。にも関わらず、滲み出る熱い想い、とでも申しましょうか。出張帰りの新幹線の中で読み始め、手に汗握り、胸を熱くしながら一気読み。

ひとつのプロジェクトの裏には、これだけの歴史があり、創意工夫があり、想いがある。努力があり、意思があり、成長がある。これ、途中で止めらんなかったよ。どーしても。ええ本です。一読をお奨めします。

この時期に勉強しなくてどうする?いやそれはその通りなんですが(汗)。いやあの、読み終わった後はちゃんと勉強してましたって。ホントに。いやこの、技術に関わる人はコレはイロイロな意味で必読だと、ってオレ誰に言い訳してんだ?(笑))

カラーの図版も豊富で、ヴィジュアルにも分かりやすく、これで960円は御買い得。そーだウチの息子たちにも読ませよう。どっちも理系だし。理系の醍醐味ってゆーか、技術の持つ力の凄さってゆーか。感じて欲しいなあ。

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2011年2月26日 (土)

【書評】凍りのくじら 著者:辻村深月

凍りのくじら読了○。主人公の高校生、芦沢理帆子は心の中で周りの人間の個性を全てSF(スコシ・ナントカ)と表現している。この言葉遊びは、理帆子の尊敬する藤子・F・不二雄先生が、ドラえもんをSF(Sukoshi Fushigi 少し・不思議)と呼んだことにちなむもの。理帆子自身は自分をSF(Sukoshi Fuzai 少し・不在)だと思う。どこにいてもそこを自分の居場所だと思えない。

読書家の理帆子だが、過去に読んだ本の中でのベストワンは、ドラえもん。同じく藤子・F・不二雄先生を尊敬しドラえもんのファンだった、父親の影響だ。父親の芦沢光は一部で高い評価を受けるフォトグラファーだったが、若くして病に侵され、理帆子が小学生のときに失踪した。

そんな理帆子の前に、3年生の先輩別所あきらが現れ、写真のモデルになって欲しいと頼む。別所は芦沢光のファンで、病院で理帆子を偶然見かけ、イメージにぴったりだと思ったのだと言う。理帆子は断るが・・・。

うーむ。普通3行で紹介するのが基本ポリシーなんだけど、なんでか、うまく要約出来なかった。すんません。

このヒトの本を読むのは初めてです。キッカケは例によってウチのヨメさんから廻ってきて。で、ウチのヨメさんには、ヨメさんの友達の女子大生の娘から廻ってきて。最近の若いコはこーゆーの読むのよねえ、でもこれは面白かった、これ読むとドラえもん読みたくなるのよ、みたいなコメントに釣られて読んでみた次第。

うん、面白かったですよ。確かにドラえもん、懐かしく思い出して読み返したくなる感じ、あるある。そうですね、この本、見かけによらず、イロイロな読み方が出来るんですわ。オレにとっては、だけど。だから、要約がしづらいんだ、と納得。

ひとつめ。純粋にドラえもんへのオマージュとして。全部で10章からなる小説ですが、全ての章にはドラえもんに登場する道具の名前がついており、とても上手にストーリー進行を助ける役割を果たしています。そして、作中の随所で語られるドラえもんというマンガに対する愛。そうそう、昔、あれを楽しみに読んだよなー。

ふたつめ。広義のミステリとして。ワタシはミステリはあんまり好きではない。(ヨメさんは対照的にミステリしか読まないヤツですが。)読むならSF(サイエンス・フィクション)の方が好みなんですけどね。読んでる途中でアレ?と思う箇所が幾つかあったのだが、実は、アレ?と思わせるのも含めて、伏線。なかなか練れていて、それでいてイヤミでない。

みっつめ。最近の日本のライトノベルとして。ワシここ、殆ど読めてないんですわー。莫迦にしてるわけではないが、食指が動かん。でもこの本についてはヨメさんによると読みやすく、また水準も高い、ってことだったんで。確かに。ちゃんと小説世界がそこにあり、現実と向き合い悩み、そして人生を前に進めていくメッセージが込められています。

よっつめ。最近の若いコの社会習慣紹介本として。小説ではあるけれど、主人公や主人公の友達の、振舞い、考え方、等々、興味深く読んだ。

ってわけで、なかなか良い本です。一読をお奨めします。

ヘンな話ですが、ドラえもん、いつの間にか「のび太の教育上云々」なんて世間に出回っているピントのズレた批判に、自分が影響されていたんだな、と気付かされ驚く感じがありました。そーいえばiPhone版が出てたな、確か。ちょーっと読み返してみよか。

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2011年2月20日 (日)

【書評】特別な場所 パワースポット巡礼1993-2010 著者:本間日呂志

特別な場所読了○。サブタイトルは”パワースポット巡礼1993-2010”。特別な場所は、人間が立ち入る前から特別な場所だったに違いないと著者は言う。地球から放たれるエネルギーは人間がそこに建造物を置こうとも変わらない、とも。特別な場所=パワースポットを訪ね、地球の放つエネルギーを感じ、その特別な場所の美しさを伝える写真集。

選ばれている土地は、メキシコ(テオティワカン)、エジプト(ギザ、クリスタルマウンテン、ウエスタンデザート)、オーストラリア(エアーズロック、マウントオルガ、ノーザンテリトリー)、ハワイ島(キラウエア、コナコースト、マウナケア)、ニューカレドニア、屋久島(二千年杉)、アメリカ(モニュメントバレー、マリブ、アリゾナ、セドナ)、長野(戸隠神社奥社、分杭峠)、沖縄(斎場御嶽、久米島)、徳島(龍頭の滝)、山形(羽黒山、湯殿山、立石寺)、熊本(阿蘇)、宮崎(高千穂)、山梨(富士山)、島根(雲南市)、エチオピア、兵庫(淡路島)、京都(鞍馬寺、貴船神社)、奈良(唐招提寺、喜光寺)、鹿児島(霧島神宮奥宮)、イギリス(グラストンベリー、ストーンヘンジ)、茨城(筑波山)、北海道(摩周湖、大雪山)、東京(皇居、高尾山)、マルタ(ゴゾ島)、神奈川(大磯)、岐阜(養老神社)、スリランカ(ミンネリア国立公園)、和歌山(熊野那智大社)。

出不精なワタシですが、金と暇があったら、こういうトコを旅行して廻るってのは、ちょっとやってみたいことのひとつ。パワースポットってーと、ちょっとオカルトが入るので”怪しい”ものになりかねないが(そもそもパワースポットは存在するのか?パワースポットにはパワーがあるのか?)、そうではなくて、所謂観光地でなく、ちょっと辺鄙なトコにある聖地みたいなトコを旅するってのは、なんだか憧れるんですわ。

定年で暇になったらやってみるか?ヨメさんは絶対ついて来ないとは思うけど。

写真について言えば、被写界深度を思いっきり浅くして、風景をミニチュア写真風に見せているものが多いのが特徴でしょうか。これ、当然わざとなんだろうけど、最初見たときはかなり違和感があったよ。なぜミニチュア写真風にしなければならなかったのか、ちょっと訊いてみたい気がする。あ、パワースポットへの疑問、追加。パワースポットにパワーがあったとして、パワースポットの写真にはパワーはあるのか?どーでしょーねえ?

全体として論旨不明な書評になってしまったことをお詫びします。ごめん。

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2011年2月13日 (日)

【書評】ヘンテコピープルUSA 著者:ルイ・セロー

ヘンテコピープルUSA読了○。副題は「彼らが信じる奇妙な世界」。著者のルイ・セローはイギリス人で、英国BBC放送のTVドキュメンタリの、製作者にしてレポーターにしてジャーナリスト。アメリカのちょっとヘンな人たちをレポートした番組で人気を博した。宇宙人を殺したと主張する男、白人至上主義のコミュニティの主催者、アメリカのポルノ業界に憧れ就職した若者、カルト集団ヘブンズゲイトの生き残り、などなど。彼らは、いま、どうしているのか?10年に及ぶ番組制作の中で、特に印象深かった人々に、もう一度会いにいく、という企画を思いついた著者は、単身、アメリカに渡り、おんぼろ中古車を運転してアメリカ中を走り回る・・・。

登場するのは、こんな人たち。

宇宙人を殺した男、ソア・テンプラー
爛熟のポルノ業界の行き着く先は?JJ・マイケルズ
起死回生なるか?ティナ・ターナーの元夫の最晩年、アイク・ターナー
究極の愛国主義を目指して、マイク・ケイン
誠意と偽りの狭間で-売春施設の日常、ヘイリー
気のいい白人至上主義者、ジェリー・グルードル
それは虚勢か現実か-ハードコア・ラッパーのライフスタイル、メロウ・T
カルト集団ヘブンズゲイトの生き残り、オスコディ
億万長者になる方法、教えます、マーシャル・シルバー
母はナチスの信奉者-白人優位を歌う美少女デュオ、エイプリル、ラムとリンクス

このトンデモぶりを笑う、ってのが元々のTVドキュメンタリのコンセプトだったんだと思う。そこにはヨーロッパ人のアメリカ人に対する優越感、みたいな視線も感じられて興味深い。確かに、アメリカ人、ヘンテコぶりもダイナミックで馬鹿っぽくって、大味なんですわ。日本だとこうはいかないよね。もちろんヨーロッパでも。

明らかに反社会的な信条とかトンデモ思想を、俺がソレを信じているからという理由だけで堂々と主張してしまう、臆面のなさというか図太さというか無神経さというかノー天気さ。これ、アメリカって国、ならではの味なんだなあって思ったよ。原野が広がっていて、勝手にそこに来て暮らし始めたんだ、っていうイメージ。社会とか政府とかと個人との距離感ってものが、日本とかとは全然違うんだな、っていう。 国とか政府とかは関係ない。俺が暮らしてんだぜ、って感じ。

でもね、ヘンテコを通じて知るアメリカって感じで読み進むうちに、ちょーっと違うトーンに気付く。そう。この本、表紙とかの馬鹿っぽいつくりとは裏腹に、けっこう真面目で内省的な本だったんですよ。考えてみれば、TVドキュメンタリ自体はヘンテコぶりを笑うのが目的だったとしても、その人たちにわざわざもう一度会いに行くってのは、ただの野次馬には思いつかない企画だったってこと。

内省的な感じの真面目で気弱なイギリス人の若者が、アメリカのヘンテコな人々の懐に飛び込み、仲良くなって、こんなコト訊いたらやっぱマズイかな、と思いつつ、でも諦めずに正面からちゃんと訊いていく。はぐらかされたり嫌われたりすることもあるけどね。完成したレポートというよりは、取材に関する悩みや苛立ち、迷いが一杯の道中記って感じなんですわ。どーしてこの人たちが気になってしまったのか、自分で自分を不思議がりながら、モーテルを泊まり歩くハードな取材の旅は続く。思い通りには全然、ならない。

ってわけで、読後に残るのは、ちょっと切ない、感じです。ヘンテコな人々の、ヘンテコである部分以外の、人間性に気付くから?どうしても、分かり合えない部分に向き合うから?自分の中に彼らと同じモノを見るから?

見かけによらない本、でした。村上春樹さんが丁寧な解説を書いてるしね。 一読をお奨めします。

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2011年2月 6日 (日)

【書評】アナーキー・イン・ザ・JP 著者:中森明夫

アナーキー・イン・ザ・JP読了◯。俄かパンクの男子高校生シンジは、21歳で死んだアナーキスト、シド・ヴィシャスに会うために、イタコおばばを訪ねるが、降霊は失敗に終わる。翌朝、シンジの頭の中で声が聞こえる。アナーキスト違いで、大杉栄の霊が呼び出され、シンジの頭の中に住み着いてしまったのだ。繰り広げられる騒動。追体験される過去の大杉の体験。それを通して明らかにされる、日本の元祖アナーキスト、大杉栄とはいったいどんな人物だったのか。そして21世紀日本に大杉栄がよみがえった意味とは・・・?

ま、形式が小説なんで、カテゴリとしては小説に分類していますが、所謂小説ではないよね、これ。ストーリーや表現で読ませるものではない、という意味でね。ストーリーは御都合主義の極みだし、表現は 陳腐でどうしようもない。にも関わらず、この作品が成立するのは、なぜか?歴史上の人物でしかない大杉栄という人物を、生身の人物として、現代(いま)の人物として、蘇らせる試み、とでも申しましょうか。

難しい顔をした社会主義運動家、アナーキストでなく、情熱溢れる心優しきロマンチストで、女性が放って置けない人物として描く。歴史上の事件でしかない事件を、生(なま)の現場ルポのように描く。明治末期~大正時代の時代の雰囲気を、現在(いま)の時代の雰囲気と重ね合わせて描く。

これ、大杉栄の紹介本、賞賛本なんですよね。それから、閉塞感溢れる日本社会に対する警告書、告発書。アナーキスト大杉栄とは、何者であったのか。彼は何故、殺されなければならなかったのか。日本社会は何処へ向かうのか。そういった、事実の発掘、解釈、考察がこの作品の中心を成しているんですわ。だから小説というより実はレポート、読みやすくするために俗な趣向もいっぱい、みたいな感じ。そう思って読めば、後は素材の面白さなんで、それなりに面白く、興味深く読めます。

そもそも俺、アナーキストってのは、わかんないなー。無政府主義と訳されますが、そもそも主義の名に値するのか?何かを作ることでなく、何かから逃れることしか出来ない、というか。そんなもんは思想としては役には立たないじゃん、って思っちゃうんですよ。

一方で、大杉栄のような人物を生かしておくことの出来なかった時代と、現代(いま)の日本の閉塞的な時代が重なって見える、ってトコには、うんうん、と頷く感じがあり、その文脈の中では、内面的な抵抗としてのアナーキズムってのはアリか、とも思う。んで、でもそれ最初っから負けてませんか?っていうツッコミが入るよね。それと”時代が重なって見える”ってことに関しては、”その先”を考えずにはいられないよな。それ、「マネーの進化史」の第六章、チャイメリカの今後、ってコトですかい?果たして歴史に学ぶことは出来るのか?怖えよ。

っとまあ、色々と考えるきっかけにはなったんで、オマケして○。はい。

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2011年1月30日 (日)

【書評】顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説―アマゾンを震撼させたサービスはいかに生まれたか 著者:トニー・シェイ

ザッポス関連書籍一覧。いっぱい出てますね。これの上から二番目がこの書評で取り上げている本ですよ。なんでいつものリンクの形式でないのかというと、この本はアマゾンのアフィリエイトのリンクの対象外になっていて、リンクが張れないのです。こんなのはじめてだよ。

顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説読了○。2009年7月、米アマゾン・ドット・コムは靴のネット販売で急成長するザッポス・ドット・コムを買収することで合意と発表。買収額は8億5千万ドル。ザッポスは1990年創業。若きカリスマ経営者トニー・シェイの自伝と、自らが語る、顧客を感動させるサービスはいかにして生まれたか、について。

アップルのiTunesストアで、電子書籍(つーかapp)として売っていた(つーか期間限定で無料)のでダウンロードして読んでみました。いま見たら定価は600円なのね(ダウンロードはこちら)。リアルな紙の本でも売ってる。冒頭のリストの上から二番目、著者がZapposの箱を持って笑ってる表紙のヤツ。

前半がトニー・シェイの自伝。中国系アメリカ人で、教育熱心な家庭に育ち、ハーバードを出てオラクルに就職するも、退屈な仕事がイヤになって友人と一緒に会社を辞め、ネット起業。なんだけど、子供の頃のミミズ牧場のエピソードとか、大学でのピザ屋の営業とか、いい感じにユーモラスで、いい感じに起業家的な挿話がいろいろ。ハーバード出、ってゆーエリート臭はない。読み物としてソコソコ面白いです。オラクル辞めたあと、ダラダラとなんとなくウツっぽくなるあたり、リアルでいい感じ。んで、なんとなく、で始めたインターネット広告ネットワーク会社LinkExchangeを、わずか数年でマイクロソフトに2億6500万ドルで売却、ってのも凄いなー。んで、ふつう、そこで一回話は終わりなんだよね。

ところが、ここから話は別の展開を見せる。中盤は、お金を持ってしまった人間が、何のために働くのか、について真面目に考える、話なんですね。ここがなかなか面白い。オレはまだ(まだ?)お金をもってしまってはいませんが、とても参考になります(何の?)。

んで、ザッポスに関わり、個人資産をつぎ込み殆ど使い果たし、倒産の危機を何度も乗り越え、ついに立て直す。アマゾンに買収されたのも、負けではなく、理想の結婚なんですな。この部分、ある意味、なんのために働くのか、という思考実験と実体験が一致していく過程として、これもとても面白いドキュメンタリです。

そして、終盤、ザッポスの体験を通して進化していった、仕事に対する考察、人生に対する考察、幸せに対する考察、が語られる。ここがまたなかなか面白い。そう、こういう風にシンプルに仕事ができたらいいよなー。羨ましいぜ。って他人事として読んでちゃいかんな。

ってわけで、面白い読み物であり、仕事と人生に対する指南書であり、企業経営の新しい軸を提案するビジネス書、と、一粒で三度おいしい本でした。うん。意外とお奨めですよ。

電子書籍をiPhoneで一冊まるまる読んだのはこれがはじめてかも知れない。読む分には、別に不自由は感じなかったな。ちょっとした時間に読めるし。あ、でも書評を書くのにパラパラと中を確認するのには不便だ。なるほどね。

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2011年1月27日 (木)

【書評】KAGEROU 著者:齋藤 智裕

KAGEROU読了○。大東ヤスオは、ついてなかった自分の人生を終わらせるべく、廃ビルの屋上から飛び降りることにした。しかし白手袋をはめた端正な顔の男に止められ、自殺は失敗に終わる。謎の男はヤスオの境遇を言い当て、ある取引を持ちかける・・・。

ちょっと前にネット上で話題になってたよね。何で今頃かってーと、例によってウチのヨメさんから廻ってきた。一時間で読める、ってことだったんで、どれどれ、と読んでみる。(最近勉強時間の確保に苦労しててね。読む本がどんどん薄く軽い方向に流れているのは否定できない。俳句とかに走ってるのも、そういうことか。まあ、試験に受かるまではしょうがないっちゃしょうがない。)うむ。確かに。正味一時間かからないで読めます。

んで、面白かったかってーと、うん、普通に面白かったんですけど。アマゾンのコメント欄が炎上って話なんで、へえ、とちょっと覗く。

まあ、この量で単行本一冊1470円也、ってのは確かに高いな、自分じゃ買わないな、とは思うよ。普通のつくりだったらこの長さの中篇3~4本で一冊だもんね。でも内容的には別に問題ない。これはこれでありだよねえ。胸のゼンマイをクランクで廻す図なんて、結構好きです。うん。

ま、作品そのものよりもそれにまつわる諸々がちょーっとアレだってことで、皆さん怒ってらっしゃるようで。高額賞金30%、有名人30%、勘違い30%、その他10%、ってトコですかねえ。

宣伝文句もさ、「命」云々って力入れるようなアオリは逆効果だよな。もっと軽い感じで、「現代のファンタジー」みたいなノリで良かったのにね。なんであんな重々しい紹介の仕方にしたのか、謎です。

欠点があるとすれば、テーマを分かりやすく説明したくなっちゃう心根の部分ですな。書かなくていいことを書いている。言わなくていいことをわざわざ言っている。そんな感じ。そこがザンネンなの。

まあ、巷間言われているほど酷くはないですよ、機会があったら一読してみても良いのではないかしら、ってことで。いやホントすぐ読めるし。

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2011年1月18日 (火)

【疑問?】登録防護標章

久しぶりの(笑)勉強ネタです。
LECの2010年版 弁理士試験 体系別短答過去問 意匠法・商標法・条約・著作権法・不正競争防止法、243頁、枝の1。

1 他人の登録防護標章と、色彩のみが異なる標章は、商標登録されることはない。

私はこれを「正しい」と判断したのですが、答えは「誤り」。以下、解説を引用します。

登録防護標章に「類似する標章」であって、色彩を当該登録防護標章と同一にするものとすれば登録防護標章と同一の標章であると認められるものでなければ、商4条1項12号にいう「登録防護標章」には当たらない(商70条2項)。したがって、他人の登録防護標章と類似する標章でなければ、その登録防護標章と色彩のみが異なる標章であっても、商標登録されることがある。よって本枝は誤り。

???ダメだ。わからん。

私は問題文にいう「他人の登録防護標章と色彩のみが異なる標章」を、「他人の登録防護標章と色彩以外は異ならない標章」と解釈し、であるならば、これは登録防護標章と類似する標章と言い得る、と考え、この色彩を登録防護標章と同一にするものとすれば登録防護標章と同一の標章であると認められると思い、これは登録防護標章に当たると考えました(商70条2項)。

問題文にいう「他人の登録防護標章と色彩のみが異なる標章」で、且つ解説文にいう「他人の登録防護標章と類似する標章でな」い標章って、どんな?

うーん、ダメだ。色彩のみが異なっていて、且つ全体としては類似しない標章、というものを観念することが出来ない。

ワタシ、どこで間違ってますか???どなたか御教授頂ければ幸いです。

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2011年1月16日 (日)

【書評】日本語ほど面白いものはない―邑智小学校六年一組特別授業 著者:柳瀬 尚紀

日本語ほど面白いものはない読了○。副題は「邑智小学校六年一組特別授業」。著者は語呂合わせと言葉遊びで有名な翻訳家。翻訳不可能と言われたフェネガンズ・ウェイクの翻訳で知られる。その他ルイス・キャロルやロアルド・ダール等の翻訳を多く手がけてきた。その著者が、ふとした縁から島根県の山あいの僻地、美郷町にある邑智(おおち)小学校で、特別授業をすることになった。生徒は六年生全員の十六人。2009年10月28日に行われた特別授業の模様を再現する・・・。

中身はこんな感じ。例によって・・・以下はワシの補足。
1 子どもの本屋さんに誘われて・・・著者の経歴、特別授業のきっかけについて
2 みんな日本語という世界の住人-第一回特別授業
3 六年一組十六名からの手紙
4 邑智小学校は開校七年目・・・過疎という現実と、教育環境の素晴らしさについて
5 最大の奇蹟は言語である-第二回特別授業
6 子どもたちの創作
7 空想授業:邑智中学校一年生に向けて

この本を読むまでは柳瀬尚紀さんという方を特に意識したことはなかったのだが、調べたらワシの場合、ルイス・キャロルで結構お世話になってましたな。「不思議の国の論理学」とか「もつれっ話」とか、「かつらをかぶった雀蜂」とか。そーか、あの人か!って感じ。なんつってもルイス・キャロル、地口と駄洒落はてんこ盛りなんで、翻訳は並大抵の苦労じゃないだろな、ってのは、昔、読みながら思った覚えがあるぞ。

言葉遊びの技量は授業でも如何なく発揮されていて、邑智小学校を謳いこんだ「いろは歌」(同じ音は一度しか使えない)を作ったり、「おおちしようがつこう」を文頭と文末に折句して10X10のマスを全て埋めたりと、言葉遊びの天才の面目躍如。さすがだ。

冒頭の著者の略歴が面白い。翻訳にのめり込んで大学を辞めちゃったり、「好きなことしかしない」「嫌なことはやらない」と宣言したり、相当に偏屈で頑固な変人だな、と。うーむ、羨ましいぜ。それをやっても喰えるってのは素晴らしい。オレもそーゆーのに憧れるけど、とてもそれを通せないもんねぇ。

そんな、小学生の教育とは無縁に生きてきた著者が、僻地で小学生を相手の特別授業、ってのもミスマッチで面白い。縁というか。めぐり合わせというか。結果的に過疎とか教育について、いろいろと考えさせられる本になっています。

んーでも、本音を言うとな、オレの趣味から言うと、ちょっとツメが甘いというか。いやもっとガチで日本語の面白さについて、やってくれる本かと期待してたものでなあ。ちょっと方向性が違ったか。わがまま言ってすんません。

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2011年1月 8日 (土)

【書評】機嫌のいい犬 著者:川上弘美

機嫌のいい犬読了○。17年前、ネットで応募作を募集する「パスカル短篇小説新人賞」で文壇デビューすることになる著者は、同時期に、ネット仲間から誘われ、俳句を作り始め、俳句の虜となる。1994年から2009年まで、自選の俳句を年代順に並べた句集。

この方の小説は読んだことがないのですが、この句集を読んで、小説もちょっと読んでみようかな、という気になりました。

俳句つながりで読んでみました。うん。なんだか面白いね。句集というものを最初から最後まで読み通したのはこれが初めてかも知れないな。(あ、歌集はあるんだけど。)なんというかこう、ちょっとユーモラスな感じの句が印象に残りますな。はっきりとしない人ね茄子投げるわよ、とか。マーブルチョコ舐めて色とる日永かな、とか。

ぱっと絵が浮かぶ感じ、分かりやすくっていいですね。先に絵が浮かんで、その後でその場面(シーン)に付随する色々な感情とか感触とかがじわっと来る、という、この感じ、これ俳句独特のものなんだろうなあ。

それから、なんというか、ああ女性が詠んだ句だ、っていう感じのがなんだか面白いな。うまく言えませんが。あ、そこに目がいくか、っていうような新鮮さがあるだよね。オレもっと観念的な方向へ走ってしまいそうだよなあ。オレには出来ん、この視点は、って感じるようなのがいいんだな。

それと、俳句って、独特の言葉遣いがあるじゃないですか。鳥曇り(ガン・カモなど秋冬を日本で過ごした渡り鳥が北に帰る頃の曇りがちの空。[季]春。)とか、柳絮(白い綿毛をもった柳の種子。また、それが雪のように散るさま。[季]春。)とか。そういう、自分の知らない言葉を調べるのがまたなんだか面白くてな。因みに上記二つの定義はWeblio辞書というページで調べました。

そうか。歳時記、買ってみようかしらん。

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2010年12月31日 (金)

【書評】アメリカン・デモクラシーの逆説 著者:渡辺靖


アメリカン・デモクラシーの逆説読了◎。(政治学者でも社会学者でもなく)人類学者である著者が、アメリカという社会を25年に亘りフィールドワーク。この社会の中心軸である”デモクラシー”という機構の動作の模様(そして動作不良の模様)を観察・分析した記録。ってゆーとちょっと極端な紹介かな。しかしこの本の面白さの半分はその独特の(人類学者的)視線にあるんだから。うん。

目次はこんな感じ。詰まっているのは逆説と逆説と逆説だあ。例によって”・・・”以下はワシのコメント。生煮えなマトメでスマンな。取り敢えず殴り書き抜粋。

第1章 アメリカン・デモクラシーの光と影・・・カトリーナが暴いたものは何か?政治への不信と他者への恐怖。アメリカ的自由の行き着く先が、ソレであるという逆説。

第2章 政治不信の根源・・・個人献金、ロビイスト、超資本主義=新自由主義、政治的妥当性とイデオロギー=文化戦争。包摂されるジャーナリズム。権力を行使する側も権力を監視する側も超資本主義に包摂されてしまうという逆説。

第3章 セキュリティへのパラノイア・・・ゲーテッド・コミュニティ=新しい中世の増殖。自由の喪失。ヨーロッパで壁が壊れていく時代に、アメリカで壁が作られているという逆説。信仰の世界でのマーケティング手法の浸透=メガチャーチ。近代の象徴であるアメリカで保守派教会の存在感が増しているという逆説。メガチャーチは福祉に於いて新自由主義を補完するが、一方メガチャーチそのものが新自由主義的な論理と力学に従うという逆説。オーディット文化。新自由主義の下で、自らの精神性や身体性さえ自らの責任や判断によって統治・所有することが困難になっているという逆説。私的領域の植民地化。孤独な個人が権力に自ら隷属していく。

第4章 多様性の行き着く先・・・ボストンのバラモンの話。能動的社会関係の構築、服従から交渉へ。個人化・多様化する家族と「家族の価値」。新自由主義と家族の価値の共通項はセルフガバナンス。内包的な自己理解の努力と、対極にある原理主義の台頭。強制バス通学の話。分裂は多様性によるのでなく、原理主義の押し付けによる。市場主義が歪める多様性。農民の小作人化。市場に飼いならされることなく市場を飼いならすことは可能か。インディアン・カジノの例。

第5章 アメリカニズム再考・・・多文化主義が原理化する可能性について。アメリカ例外主義とアメリカニズム。ダブルスタンダード。帝国的動機。ソフトパワーを巡る逆説。タカ派による理想主義的振舞いを懸念してつくられた中立的な概念が、帝国的動機のカモフラージュであると看做された。「アメリカ史のアイロニー」byラインホルド・ニーバー(1952年)。反米主義の本場はアメリカであるという逆説。グローバル化とはアメリカを包摂化していくプロセス。<帝国>的と「帝国主義」的。そして自己修正力。つまりこれら逆説のみにアメリカンデモクラシーを回収することの逆説。

今年アメリカ関係の本は数冊読んだが、オレ、この辺の政治的或い社会的な問題を扱った本を読むには、基本的な素養が欠けているんだな、ってのを改めて自覚しました。この本は、その手の教科書的基礎知識をお勉強する、って意味でも、とても手頃で分かり易かった。例えば、こういう基礎知識。

・連邦政府は「自由への脅威」か、それとも「自由への手段」か。アメリカでは後者がリベラルと称される。ヨーロッパでは保守主義ー自由主義ー社会主義という三竦み。アメリカでは自由主義を前提とした保守主義と、自由主義を前提としたリベラリズムの対立。

・アメリカの保守大連合の中身。強いアメリカの復権を目指す安保保守(ネオコン、新保守主義)。小さな政府を目指す経済保守(新自由主義)。「伝統的価値」の回復を目指す経済保守(宗教右派)。従来からの穏健保守(オールド・リパブリカン)。

そしてそいういう教科書的な読み方だけでなく、読み物(というとちょっとアレですけど)としても、非常に面白い。なんて言うんでしょう、意表を衝かれる感じというか。異質な社会を旅するSF的な読み物を読む感覚で、怒りながら驚きながら感心しながら、読んでいました。事実は小説より奇なりっていうかさ。もちろんそんな読み方は著者の望むところではないだろな、ってのは分かってますけどね。なんにしろ、アメリカ社会の手触りの正体と、今、世界の置かれた状況がなんとなく見えてくる、ええ本です。一読をお奨めします。

さてと、んな訳で今年ももうすぐ終わりですな。最後の書評がこんな雑なメモ書き抜粋でなんだかちょっとアレなんだけど、ま、しょうがない。そのうちもうちょっと整理することもあるでしょう。それでは、みなさま良いお年をお迎えください。

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2010年12月23日 (木)

【書評】よつばと! 10 (電撃コミックス) 著者:あずまきよひこ


よつばと! 10 読了◎。いやもうホントに今更説明の必要はないとは思いますが、念のために書いておくと、小岩井よつば(5歳、おんなのこ)のわくわくする毎日を描く、いろんな意味で、とてもクオリティの高いマンガです。

第63話 よつばとあそぶ
第64話 よつばとホットケーキ
第65話 よつばとジャンボ
第66話 よつばとでんきや
第67話 よつばとかでん
第68話 よつばとうそ
第69話 よつばとさいかい

発売前から我が家では話題になってたんだ。誰が買うのか(オレか?上の息子か?下の息子か?ヨメさんか?)、どういう順番で廻すのか。前回あやうくダブって買いそうになったからな。今回も結局発売日にオレが買って、下の息子⇒上の息子⇒ヨメさんと廻り、勢い余ってヨメさんの友達にも廻り、やっと今日戻ってきた。おいおい。一ヶ月近く経ってるじゃねーか。書評をアップするのが遅れたのはそういう訳です。

と言っても、ま、いやー相変わらずいいよねー。で終わりなんですけどねえ。絵は描き込みが凄いし、絶妙な間(ま)の取り方は気持ちいいし、エピソードはいい感じにリアルだしね。やっぱりくり返しくり返し読んでしまうなあ。

10巻ではとーちゃんの出番が多いね。ちゃんと教育している、躾をしている、ってお話が前面に出てて。ホットケーキの回の対応とか、うその回の対応とか、いやたいしたもんだ。なかなか出来ることではないですよ。とーちゃんのこの育て方があってよつばのこの性格が出来た、ってのがよくわかる。この自然体で泰然とした感じに憧れるぜ。と思わせる人物造形の妙だよね。つくづく、いいマンガだ。

そういえば「よつばとひめくり2011」の申し込み用紙が入っていたな。どうしようかなあ。月めくりは、写真とのコラボっでトコが、ちょっと違う気がするんでウチではつかってないんだが、日めくりは魅力かも。でもなんでスクールカレンダー(4月始まり)なんだよ?1月からだったら間違いなく買ってたのに。もう。どうしようかなあ。

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